恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 二十分ほどして、浅永さんが帰って行った。

 これから目を見張るような回復は、ほぼ見込めない。
 リンに頑張れとは言わない、頑張るもなにもない。

 リンはただただ、その日一日をやり過ごすような辛い状況を、今まで必死に耐え忍んできた。

 頑張らなくてもいい、リンは十分に頑張った。
 だから、これからは痛みや辛さから解放されて、リンらしく過ごしてほしい。

 リンが楽に生きられることならば、どんなことだって協力する。
 院長も私も、おなじ想いをもっている。

 その日の午後、リンの意識レベルが低下して呼吸が弱くなった。

 リンのそばを離れず、呼吸や心拍数の測定や状態変化を確認しながら、PHSで院長を呼んだ。

 すぐに二階に駆け込んで来た院長が、急変した状況と施した処置を伝える私の声に、耳を傾けながら処置を始めた。

「浅永さんを、お呼びしますか?」
「いや、必要ない」
 力の限りを尽くして、命を取り留めた。

「急変を見抜き,心停止に陥らせないための適切な処置をありがとう」
 額に光る汗をスクラブの肩で拭きながら、微笑んでくれた。

「お疲れ様です」
「お疲れ様」 
 大切な宝ものを扱うように、リンを丁寧に抱えてケージに入れている。

「リン、よく頑張ったな」
 こぼれ落ちそうな笑顔がリンに注がれた。
 
 ***

 今日で、リンは入院して四日目を迎えて、浅永さんが閉院間際に来院した。

 リンの血検の数値は治る見込みがなく、積極的な治療は、控えめにしていくことになって二日目。

 状態観察、それに疼痛コントロールや症状を緩和する注射のほかに、内服薬などを中心にリンの支援をしている。

 それは、緩和ケアに切り替わったことを意味する。

 愛するわが子同然の、リンとの残された日々を、リンが苦しまずに穏やかに、その日を迎えるためにオーナーが決断した。

 ──はずだった──

「そんなはずない! どうしてリンが辛い目に遭わなくちゃならないの! まだ治せるでしょ!」

 目の前で平常心を失い、極限状態に達して騒ぎ立てる浅永さんは、いつもの礼儀正しく温厚な浅永さんじゃない。

 ふだんの浅永さんからは、想像もできないほど、人格が変わってしまった。

 院長の説明に、浅永さんが納得して、同意したから緩和ケアに切り替わったのに。

 この結論にたどり着くまで、院長と浅永さんは、今まで何度となく話し合いを繰り返してきた。

 命に関わるデリケートな問題だから、当然すぐには結論が出るはずもなかった。

『リンの痛みや苦しみや辛さを取り除き、残された時間を楽に生かしてあげたい』

 懇願した浅永さんが、昨日、ようやく出した結論だった。

 でも追い詰められた心が、苛立ちを招いているみたい。
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