恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「とんでもないです、ヴァンス優先です」
 私の言葉に、きゅっと一文字に固く結んだ口の端を上げて頷く。 

「これから、私は院長を独り占めできますから、ずっと」
 きゅっと一文字に固く結んだ口の端が、一瞬で崩れて微笑んだ。 

「ああ、ずっと永遠に」

「一泊二日だと、明日は日曜日だから、退院は月曜日ですか」

「や、明日の朝にオーナーが迎えに来たいそうだ。平日は仕事で、なかなか来られない」

「そうですか」
 明日か。コーヒーカップの中に閉じ込められたような、こもった寂しい声が漏れた。

「付き合って初めての日曜日なのに、俺に逢えないのが寂しいのか」
 俯いたまま頷く。

「そうして、素直なところが愛しい」
「逢いたいんです、院長に」

「顔を上げろ。ヴァンスが退院したら迎えに行く、十一時までに支度して待っていろ」

「院長」
 驚きに近い方の喜びが心をいっぱい揺するから、くすぐったい。

「嬉しいって顔に書いてある、顔だけでは書ききれないな」
 そう、全身から吹きこぼれる喜びを抑えきれない。

「映画がいいのか」
「行きたいです、連れて行ってください」

 胸の前で両手を合わせて小さく手を叩いた。楽しい気持ちが胸の中で湧き上がる。

「ひとつ、大切なこと」
 私の目の前で人差し指を、すっと立てる。

「映画に行く前にするべきことがある」
 笑顔が真顔に変わったから言葉を待った。なんだろう?

「先にお父様のお墓参りに行こう、ご挨拶をしたい。お母様にも電話をして、正式に交際を認めていただく」

 心の奥から揺り動かされる感動で、言うべき言葉も失う。

「どうした?」
「両親を大切にしてくださるから嬉しくて」
「当然だ」
 かっこいいことを言って、涼しい顔をしているのが凄くかっこいい。

「今日はヴァンスのオペで疲れただろう、ゆっくりと休め」
「院長も」

「映画なら予定が立てられるな、夜はゆっくり食事をしよう」
「わあ」
 溢れる喜びを押し隠すことができない。

「大変な喜びようで、飛んで帰って怪我をするな」
「保障はありません」

「送るぞ」
「それはダメです、ヴァンスが」
「それなら、はしゃがずに帰れ、わかったな」
「はい」

 私の腰に手を回した院長が、通用口のドアまで送ってくれた。
 大丈夫なのに、ずっと見えなくなるまで見守ってくれていた。 

 いつヴァンスの噛みつきがあるかわからない中での、麻酔導入前から麻酔覚醒までが心身ともに疲れた。
 
 くたくた、まいった。

 お風呂に入って夕食をとると、倒れるようにベッドになだれ込み、朝まで目が覚めなかった。

 朝になると、まったく決めていなかった洋服や持ち物のコーディネートに、あたふた大慌て。

 前とは違って、今日は初デート。男の人とデートだなんて初めて。
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