恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 院長は、無事にヴァンスを元気に退院させてから、十一時に“ゆべし”で迎えに来てくれた。

 初秋らしく、全体をブラウン系でまとめたコーディネートで、ふれあい動物園のときとは雰囲気が違ったけれど、今日もおとなな院長がかっこよくて、見入ってしまう。

 途中でお供えの花を買い、都会の喧騒を離れた霊園に向かった。

 花とお線香を供えて墓前に立つ院長は、なにかを誓うように長い時間、手を合わせていた。

 隣で手を合わせる。

 お父さん、初めて男の人を紹介します、私が初めて好きになった人。

 お父さん以外に大好きな男の人ができたなんて寂しい?
 お願い、どうか私たちを見守っていてください。

 同時に顔を上げた。
「お父様と十分に会話ができたか?」

「はい、心が安らぎます。いつも、ここにいてくれますし」
 左胸に触れた。

「そうだな、心の中で生き続けていてくださるから話したいときには、いつでも話せる。男同士の内緒話もした」

 院長が口角を上げて、指先で鼻柱をこする。
「それは冗談としても」
 院長が前置きをして、話し始めた。

「責任感が強く、しっかり者で真面目で心優しい人ほど不安や心配、問題をすべてひとりで抱える」

 自分がしっかりしていなきゃって、いつも気は張っているし、弱い一面を見せたくないし、心配もかけたくない。

「他人事のような顔をして」
 小さな微笑みに、瞳の奥を見つめられた。とぼけているのを見透かされたみたい。

「今まで、なにかあっても、誰にも相談せずにひとりで悩んでいただろう。心は隠せていない」

「院長は、私と違って強いですもんね」
「俺だって人間だ、心が疲れ果てることがある」
「院長が?」
 意外な一面に驚いた。

 ネガティブなんて軽く見て、いつも前向きなのに。

「ときには苦しいことを隠さず、周りに悩みや問題を打ち明け、話を聞いてもらっている」
 パーフェクトな人でも、そうなんだ。 

「心のために大切な作業だ。川瀬の心が疲れ果ててしまっては、川瀬が心配かけたくないからと気にかけている大切な人が、一番哀しむことになる」

 院長が抱き寄せる。

「お母様、それに俺もだ」
 ママにも院長にも言わないことで、心配かけてたなんて、ごめんなさい。

 お父さんも私のことが心配だから、いつもいつも夢に出てきてくれるのかな。

「ひとりではできないことも、大人数でなら乗り越えられることは、たくさんある」

「ひとりで、あれこれ悩んでるのは、心を疲れさせるだけでもったいないですね」

「だろう?」
「院長やママに話せば、悩む時間はなくなって、乗り越える時間に使えます」

「その通り、とても賢い子だ、端の人間の心配も消える」
< 194 / 239 >

この作品をシェア

pagetop