恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
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 翌朝、ブルーのスクラブに着替えて待機室に下りて、香さんに挨拶をした。

「だんだん、朝が涼しくなってきましたよね」

「朝起きると寒く感じるわ。季節の変わり目だから、お互いに体に気をつけましょうね」
「はい」

 そうは言っても、今日もまた動きっぱなしで、そのうち暑くなるんだよね。

「おはよう」
 飄々とした声に振り向いた。

「おはようございます。あっ、院長もブルーのスクラブですね、よくかぶりましたね」

「おはよう、かぶったら、なにかあるの?」

「スクラブがかぶったら、かぶった方が望みを叶える賭けを、私が提案したんです」

「あなたたち、そんなことしてるの? 何種類もあるスクラブの色が、そう易々とかぶるわけないじゃないのよ」

「と思いますでしょ、院長も香さんとおなじことをおっしゃって自信満々でした」

 また賭けに勝ったことが楽しくて、わくわくしながら香さんに向かって話を続けた。

「私、もう三連勝してます、院長は賭けに弱いんですよ」

「そういうことだったのね」
 にやにやしながら、香さんが院長の顔を仰ぎ見る。

「なんだよ」
 顎が首につくまで引いて、鬱陶しそうに眉をひそめる院長が、香さんを見下ろす。

「明彦がスクラブを着替えてたのは、その賭けに関係あるのね」

 院長に向ける香さんの口もとが、意味深な笑みを浮かべて、目つきは獲物を捉えた猛禽類のように鋭い。

「朝、来ると入院室の前や待機室の前で、明彦が室内をちらりと覗いたと思ったら、引き返してスクラブを着替えて来るのよ」

 院長は観念したのか、黙ったまま明後日の方向に視線を向けて、耳たぶを引っ張っている。

「この子、なにしてるのって不思議に思って聞けば、なんでもないって言うし」

 香さんが両手で肘まで抱えて、気味が悪いとでも言いたげに、ぶるっと震えるまねをする。

「なんでもない人のする行動じゃないから、異様で怪しいのよ」
 院長、そうだったんだ。どうして、こんなに負けるのかと思った。

「川瀬さんの望みを叶えてあげたくて、わざと負けてたのね」
 肩を揺らしながら笑っていた香さんが、耐えられずに笑い出した。

「汗をかいただけだ」
「はい、そうね。汗かいた、かいた、可愛い」
 けらけら笑いながら、からかう香さんが、ふと愛しそうな表情に変わる。
「そこまでして健気ね」

 院長が真顔で話し始めた。
「いつか知られることだから報告する、川瀬と結婚前提で交際している」

 改まった顔つきの固い表情の院長とは対照的に、香さんは驚いて棒みたいに立ち尽くしている。

「ショックで驚いて腰から落ちそうよ」
 今にも泣きそうな顔から、発せられる弱々しい声。

 あまりの落胆ぶりに、今にも床に崩れ落ちていきそう。

 ブラコン気味の香さんにとって院長の存在は、ここまで落ち込むほど大きいの?
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