恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「内緒」
 凄く小さな声で早口で答えた。

「こら、言えよ」
 香さんの話を聞いてと促すように、一瞬だけ人差し指を口にあてた。

 機関銃のような香さんのトークは、炸裂すると止まらない。
 十分に理解している私たち。流れのままに耳を傾けよう。

「そうよ、あなたたちったら」
 なにかを思い出して、急に声を上げた香さんに、私たちは顔を見合わす。

「ルカのときと、あとそう大雨の日よ。あなたたち別々に出勤してきたけど、おなじボディソープとシャンプーの香りだったわ。大胆よね、隅に置けないわ」

 私たちに詰め寄る顔は、にやにやして自白を促すベテラン刑事?
 院長、助けて。八の字眉で、すがる瞳で院長を見上げた。

 目と目が合うとニッコリと微笑み、首を傾げて眉を上げる院長が、香さんに視線を移すと真顔に変わり、顔をじっと見ている。

「今ごろ交際宣言なんかしちゃって、あのときから付き合ってたくせに」

「誤解だ。あのときは、まだ付き合っていない」

「えええ、あなたたちってオープンなのね。体だけの関係から始めたの?」

 香さんが肩を上げて、目と口はパッと開けた。まるで、耳のすぐそばでラッパを吹かれたみたい。

「俺は、なにを言われても構わない。でも川瀬のことは許さない。川瀬が、そんな人間に見えるか?」

 私を庇う語気が激しい。
 足は、もどかしさを発散するように、爪先で床をとんとん鳴らしている。

「冗談に決まってるでしょ、ムキになっちゃって」

 唇を震わせながら笑いをこらえている香さんに対して、眉間を膨らませた院長が嫌悪感丸出し。

「悪趣味だ」
 院長が真顔で身の潔白を主張する。

「川瀬さんも、何度かムキになって明彦を庇ったわよね、二人ともおなじね」

 隣の院長はといえば、まんざらでもない顔で、黙って前を見ていたからよかった。

「ノンネの初診のときもだし、ドゥドゥが脱走したときは」

「川瀬のことは何度も聞いた、アネキは話したことを忘れてしまうのか?」
 香さんの話を遮って、院長が話し始めた。

「私が明彦と二人のときに、川瀬さんの話をするたびに、あなたの顔ったら、こんなこんな、こんななっちゃって嬉しそうじゃないの、ずっと前からね」

 香さんが、ふにゃふにゃの顔をするから思わず笑ってしまった。

「そんな顔は、一度としたことはない」

「クールぶっちゃってるけど、自分で気づかないだけで、目も口も頬も崩れてるのよ」

「大げさなんだよ、するわけがない」
 照れ屋さんが、私にも聞こえるように断言している。

「そうだ、庇った話ついでに白状するわね。ノンネの初診のときに、川瀬さんに話しちゃった。あまりに明彦を庇ってくれるのが嬉しくて」

「なにを話したんだ」
 院長が言葉を区切るように、香さんを問い詰める。

「怖い、そんな顔したら嫌われちゃうわよ」
 なにかを想い出したような、香さんの顔。
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