恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「海知先生の歓迎会のときも、私、今のセリフ言ったわね。明彦ったら、照れちゃって」

「いいから、早く話の内容を言えよ」

「川瀬さんを信頼してるからって、時間外の話」 

「知っていたのか?」
 私に向かって、滑舌よく訊いてきた。もう腹話術やめたんだ。

「はい」
「口が固いな」
「香さんとの約束ですから」
 香さんに視線を移して、二人でにっこりと笑った。

「あのとき川瀬さんに言うなって、私に口止めしたってことは、もう川瀬さんのことを好きになってたの?」

「忘れた」
「照れちゃって、好きになってたのね、わっかりやすい」
 香さんのにやにやした顔に、院長の眉がぴくりと動いた。

「『川瀬なら』とか『川瀬といっしょに』とか『俺たち』とかって何度も言いながら、力説してたもんねえ」

 からかうのは、そのへんでストップして。院長の眉どころか、ふだん動かしもしない鼻柱まで、ぴくりと動いた。

「そういえば、あのころの川瀬さんは心身ともに疲れてたでしょう、大変だったもんね」

「院長が支えてくださったから、救われました」
「おのろけ、ごちそうさま」
「そういうわけでは」

「なに言ってるのよ。にやにやして、もうとろとろに、とろけそうな顔よ」

「そうですか?」って言う顔が、抑えきれない喜びに溢れているのが、自分でもよくわかる。

 うしろに回していた私の手を、さりげなくうしろ手で握ってきた温かな大きな手に、体が反応しそうになる。

 勘のいい香さんには、気づかれたかな。

 院長ったらスリルを楽しむように、私を共犯者にするんだから。
 こんなに、どきどきさせてイジワル。

 握ってきた手を大好きって想いを込めて握り返した。
 
 俺もだって溢れ出す想いが、これでもかって強く伝わってきた。

「川瀬さんって、明彦が初恋の相手なの?」
 真顔で瞳の奥を覗くようにして聞かれた。

「はい」
 急な問いかけと質問の内容に驚き、戸惑いながら返事をした。

「恋愛感情は、二年ほどで冷めちゃうからね。寝ても覚めても好きのは今だけよ」

「俺たちを壊す気か」
「違うわよ、逆よ」

 院長が言うや否やのタイミングで香さんが、ぴしゃりと跳ねのけた。

「そこから先の方が長いの、それでもいいの?」 

「どんな場合であれ、結局、良し悪しがある。生きていく上で、必要不可欠なものを知っているか、リスクを負うことだ」

「あなたは黙っててよ、私は川瀬さんのことを考えてるの」 

「頭の中でリスクを考えるよりも、実際に試してみる方が発展的だ」

「あなたのことなんて、どうでもいいのよ。今は心よ、川瀬さんの気持ちが優先でしょ」

 院長のことは相手にしないって感じで、香さんが、体ごと私に向けてきて集中している。

「いずれ結婚したら、朝から晩までずっと顔を付き合わせる生活なのよ」
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