恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「彼も優秀な人材だ。そんな逸材を小川院長が、そう易々と手離すわけがないだろう」

「小川院長がどうこうじゃないの。そんなこと、海知先生の考えを聞いてみなくちゃ、わからないわ、本人次第でしょ」

「現実的ではない」
 そんなことあってたまるか、もっと現実を見ろみたいに、院長が頭を左右に振った。

「新人教育で新しく育てるより、すでに仕事のできる優秀な人材を引き抜いた方が効率も良くて、コストもかからないわ」

 唸ってしまいそう、言っていることがわかりすぎる。

「大病院の小川さんは、スタッフを育て上げて、独立させる機関よ。優秀な人材だからこそ抜けていくのよ。抜けていったら、また下の優秀な人材が育つ」

 香さんの言う通り、今までも抜けた穴は埋められて、しっかりと回っている。

「引き抜く際に、収入は小川さんよりもアップさせる。それ以上に海知先生は、売上を伸ばせる人材だから損はないわ」

 香さんの目がぎらぎら。

「海も見えぬに船用意。さっきから言っていることが、皮算用でしかない」
 院長は一笑に付して、取り合わないみたい。

「人手が足りない。これじゃ仕事ができない。ってなる可能性は? オーナーの要望に応えられなくなってから、即戦力をなんて言い出しても遅いのよ」

 最初は冗談ぽかった香さんが、本気で訴えている。

「人手が足りなくて、あなたが倒れても知らないから。代診医だって、そうそう確保できないことくらい、あなたもわかってるでしょ」

 いくらタフとはいえ、院長の体が心配なのは、私も同意。

「動物になにかあったら、心を痛めるのはオーナーとあなた、それに川瀬さんなのよ」

 まともに取り合わない態度だったのに、院長の表情が真顔に変わり、なにかを考えるように表情も全身も止まった。

「情に訴えかけてきたのか」
 相手を射抜くような院長の鋭い眼光が、香さんの瞳一点に向けられた。

「一ヶ月よ、一ヶ月。会社員の転職なら三ヶ月かかるところを、獣医の転職は一ヶ月。すぐに話をまとめなさいよ」

「考えておく」

「小川さんは獣医師が多いから、すぐに海知先生に来てもらえるわ」
 私も決めたら、すぐに転職できた。

 少人数で回している病院だと、後任を見つけなくちゃだし、そう簡単にはいかないもんね。

「海知先生が来てくれたら、暮れとお正月は、例年よりも多く開院できるわね。オーナーも安心だし、なによりも患畜にいいわ」

 香さん、今度は患畜を引き合いに出して、情に訴えかけた。
 院長の心に響くかな。

 あの手この手を駆使する香さんは、敏腕経営者だけあって強引だな。

 もしかしたら、本気で海知先生を引き抜くつもりで動くかも。
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