恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「なにをですか」

「大雨の日。うわごとで、お父様を呼んでいたこと。今も嫌ならいい、これ以上は聞かない」
 気にかけてくれていたんだ。

「どこから、どう話していいのか。自分の想いを上手に伝えられないかもしれません、すみません」

「ゆっくりと、自分のペースで話したくなったら話してくれればいい、慌てなくていい」

 言葉の整理をするために、しばらく黙ってしまった私を抱き寄せて、いつまでも待っていてくれる。

「母と買い物から帰宅したら、父がリビングで倒れてたんです」

 ちゃんと聞いてるよって、院長の優しさが伝わる、静かな相づちに安心感をもらえた。

「母が『お父さん』って叫び声を上げましたが、父からの返事がなくて、呆然とする母が慌てて救急車を呼び、父は病院に搬送されましたが、意識が戻らないまま息を引き取りました」

 ぽつりぽつりと他人事のように話すのは、心が壊れてしまわないように、自分なりの防衛本能だと思う。

 心を無にしないと壊れたら、どうなってしまうのか怖い。

「辛いな。そのとき川瀬は、いくつだったんだ?」
「六歳です。亡くなった直後は死の意味が、よくわかりませんでした」

「六歳だと哀しみは感じても、まだ死を理解できないだろうな」

 私の言葉を、頭で整理しながら聞いてくれているみたい。

「最期のお別れのときに取り乱した母は、私もいっしょにって、父にすがりついて泣き叫んでいました。親戚に抱き抱えられて、離されたのも覚えているんです。そして扉は閉められて、うん」

 自分に言い聞かせるように話した。私は大丈夫、壊れない。

「大丈夫か、話していて辛くはないか」
 院長がいてくれるから、辛くない。気持ちを伝えたくて、つないでいる院長の手を握った。

「最期の光景を見つめながら、私は泣いたらダメだと幼いながらに思いました。泣いたら、母が心配するし哀しむから」

「六歳なんて、まだまだ子どもじゃないか。泣くことを我慢したのか、どんなに辛かったか」

 ぎゅっと抱き寄せてくれて、続きの言葉をくれた。

「辛いのに、周りの人たちに心配させてはいけないと、人前では泣けなかった。泣けないから、寝ながら本人も無意識のうちに、今までひとりで泣いていたんだろうな」

 泣かないんじゃない、院長の言う通り泣けなかった。

 心が壊れるのを怖がっているんだと思う。涙を抑えて、泣きたい感情も麻痺させている。

「母が泣いたのを見たのは、そのときだけでした。誰よりも辛いはずの母が、それ以降、まったく涙を見せずに、力強く前を向いたんです。いつも笑顔で生き生きしてる母を見て、私は無理やりにでも笑ってました」

 心の重みを受け止めてくれるみたいに、タイミングよく相づちを打ち、大きく頷いて聞いてくれる。
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