恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「もう少し大きくなってからは、発見が早かったらという気持ちと、買い物に行かなかったら、父は助かったかもっていう罪悪感に責められました」

 同調してくれたみたい、大きく頷いてくれる。

「ふとしたときに頭をもたげて、心もがんじがらめに縛られてます」

 自責の念にさいなまれて黙ってしまったら、会話を急かしたり促したりせず、いっしょに黙っていてくれる。

 長い沈黙のあとに、院長が静かに口を開いた。
「今も続いているのか」
 黙って俯いているのが、答えだって察したみたい。

「川瀬を責めている人がいるとすれば、それは川瀬自身だ。もう、自分を許してあげよう」
 お願いだからやめて。

「川瀬には、初めから罪なんてなかった。自分に罪があると勘違いしただけだ」

 今までも、人から優しくされるのが苦手だった、泣いてしまいそうになるから。

「優しくしないでください。泣いたり気持ちを吐き出すと、心が壊れるのが怖いんです」

「そんな簡単に壊れやしない。たとえ壊れたとしても、俺が助ける」

 恐るおそる顔を上げたら、天井を見つめながら「大丈夫、俺がいるから」って、そっと頷き、微笑む横顔が見えた。

 院長の肩先に、頭を乗せている私が見上げていたことに、気づいたみたい。
 顎を引いて下を向いている院長と、目と目が合った。

「ひとりで辛さを抱え込まないで、いつでも俺に話せ、泣いても構わない」
 嬉しくて、顔が口いっぱいになるくらいの抑えきれない笑顔が自然と溢れた。

「おかしいの、嬉しいのに涙が出てきちゃう」
 泣き笑いでぽろぽろ頬に流れる涙を、院長が親指で拭ってくれる。

「もう我慢しないで泣いてもいい、川瀬が泣いても、おろおろしない。どんなに川瀬が取り乱そうと、しっかりと受け止めるから安心しろ」

 そっと頭を抱き寄せ、撫でてくれた。

 張り詰めていた心が、今この瞬間に許してもらえたんだ。

 震える唇と噛み締めた歯の隙間から、今まで耐えていた嗚咽が一気に漏れ出した。

 顔が見られると、泣けない私の気持ちを知っているみたいに、瞼を撫でていてくれる。

 なにも言葉はないのに心が温かくて、子どもに戻れたみたいに泣きじゃくる。

「ずっと辛かったな、泣きたかったな。もう頑張らなくていい、十分に頑張った」

「自分のために泣いてもいいんですか」
「ああ、泣きたいだけ、たくさん泣いてもいい」

 重い過去の哀しみと深い今の愛情が涙に変わり、止めどなく次から次へと溢れ出て、止まることを忘れたように、頬をつたい続ける。
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