恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「逢いたい逢いたい逢いたいよ」

 院長の腕の中で、堰を切ったように溢れ出す涙に翻弄されながら、泣き崩れた。

「お父さんに逢いたいよ! 寂しいよ」
 泣き叫ぶ悲鳴のような泣き声が、部屋中に響き渡った。

「院長は......急に......消えないで、やだ、置いて逝かないで、ひとりぼっちにしないで。大切な人が、突然いなくなるのが怖いの」
 怖いの。

「俺が、今にも消えてしまうんじゃないかと心配か。心配するな、そう簡単にはいなくならない」

 微笑み交じりの、囁きみたいな笑い声といっしょに、頬を撫でてくれた。

「安心させて、くれ、て、ありがとうございます」
 しゃくり泣きが止まらず、上手に話せない。

 泣きすぎて、頭がめまいをおこして脱力感に襲われたのに、院長の言葉が嬉しくて、また涙が溢れ出して、止まらなくなった。

 触れながら、ただ隣にいて黙って泣かせてくれて、心が壊れる怖さに追い詰められると、言葉をかけて安心させてくれる。

「落ち着いたか」
 こくりと頷いた。
「院長は私の前から、いなくならないでください」

「いなくならない。もし俺が川瀬から去るような日が来れば忘れるな、川瀬を連れて行くことを」

「約束です」
「ああ、約束だ、守れない約束はしない主義だ」
 怖くない、おなじ想いはしないって信じられる、院長なら約束を守ってくれる。

「なくなる、自分のそばに当たり前にいた人が、ある日突然消えることが、怖くて辛くて寂しかったんです。ついさっきまでは」

「今は?」
「わかってますでしょ」
「聞きたい」
「院長がいてくれるから怖くありません」

 動物に向ける溶けそうな顔で見つめてから、ふとなにかを思いつき真顔に変わった。

「だから大恩のオーナーの家に行ったり、連絡がついたか尋常でないほど、気にしていたのか」

「はい。なんのメッセージも遺してくれないまま、父が旅立ってしまったから寂しいんです。大恩も、いつもにこにこしてるけど寂しいと思います」

 優しいオーナーさんだったから、大恩を遺して旅立つのは辛かったと思う。今も辛いと思う。

「大恩のおかげで、ひとりぼっちじゃないって思えるときがありました。気持ちをわかってくれる同士がいてくれるような感覚です」

「今まで、ひとりぼっちだと思っていたのか。大恩がいなかったら、ひとりぼっちと思ったままなのか?」

 寂しそうな顔で見つめている。

「水くさい」
 小さく聞こえたのは独り言なの?

「今は違います。どれだけ院長が遠くにいても、院長はいつも私の頭と心の中にいます」

「ひとりぼっちは過去形なのか?」
 念を押して、心配でたまらないみたい。
 
 院長の肩に頭を乗せている、私の頬に触れ、顎を指先でそっと上げて確かめてくる。

「はい」
 安心したみたい。

 首を上げて、私の顔を見ていたけれど、頭を枕に預けた。

「俺が心の中にいるのは、いつからだ。つい最近なんてことはないだろう」
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