恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「あのとき、心の底から訴えかけるように、保護本能を刺激してきたから」

「院長、院長って?」

「それにやられた。握ったまま手を離さないから、離すのがかわいそうだし、しくしく泣いているから、放っておけなかった」

 優しい院長は、離さなかったんじゃなくて、離せなかったんだね。

「院長は、私がかわいそうだから、離せなかったんですね」

「下手な同情ではない。俺は離さなかったんだ、離したくなかった、だから寂しそうな顔をするな」

 答えみたいに、つないでいる私の手をぎゅっと強く握った。
 自信がないこと言っちゃった、院長は好意で離さなかったんだ。

「そうして笑っていろ」
「はい」

 きっと院長は、膝の上でフェーダーが眠っちゃったりしたら、起こすのがかわいそうだって、じっとしていそう。
 
「どうやら川瀬は、俺がいないと生きていけないようだ。守れるのは、自分だけだと強く想ったのは動物以外、川瀬ただひとりだ」

 嬉しくて、私の方から抱き締めた。
「俺だけが川瀬を守る」

「守ってくれる存在が院長でよかったです。私が幸せや喜びを感じられるのは、院長のおかげです」

「おなじ気持ちだ、なにがあっても離さない」

 院長が絡め合う手を、まじまじと見つめる。ぎゅっと握ったら、握り返して微笑んでくれた。

「あのとき夢を見てて、一生懸命に院長を探したんです。そのとき父が現れて、子どものころみたいに髪を撫でて、おやすみっておでこにキスしてくれたんです」

 夢にまで見た逢いたくて恋しいお父さんが、まさに夢に出てきてくれて嬉しかった。

「こんな感じだろう、おやすみ」

 キスをしてくれたおでこに、指先が無意識に触れる。この感触、夢とおなじ。

「そうですね」
 はっきりと覚えている、夢の中ではお父さんだった。 

 なのに、今の感触は院長って、いったいどうなっているの?

「反応が素っ気ない、まだわからないのか、これでどうだ」

 きっと私の顔が、ぽかんとしていたんでしょ。
 少し笑い声交じりに囁き、またおでこにキスをしてくれた。

「夢じゃなかったんだ、しかもお父さんじゃなくて、院長だったなんて」
 抑えきれずに口角が上がり、頬が緩む。

「やっと、わかったか、嬉しそうな顔をして」
「教えてくださればいいのに」

「川瀬だから、必ず気づく日がくると確信していた、こんなふうに」

「私たちが、恋人になると思っていたんですか、凄い自信ですね」  

「自信ではない、確証を得るのは、いとも容易いことだった」
 誇り高き獣医師の顔になった。

 相手のことをよく観察していて、相手が求めていることとか、不安に思っていることとかを、ちゃんと感づく優れた観察力を以てすれば簡単か。

「どうして簡単だったんですか」 

 私の問いかけに、はぐらかすように軽く小首を傾げて、微笑みかけるだけ。にこにこしちゃって、イジワル。

「このぐらいにしよう」
 話を終わらせちゃって、ずるいの。

「さあ、少し寝たほうがいい」
 腕の中に、しっかりと私を包み込んだ。

「じっと見つめて、今度はどうした?」 
 
「眠ったら夢から覚めちゃう、瞬きするのさえも怖いんです」

「安心しろ、夢じゃない、おやすみ」
 小さな息を漏らして笑う、院長の声に安心して、深い眠りに(いざな)われた。
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