恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「いただきます」
「いただきます、ちゃんと毎朝、食べてますか」

「問診か」
 コーンポタージュを掬いながら、髪の隙間から瞳を覗かせる。

「問診ですよ、体が資本のお仕事ですから」
「コーンポタージュおいしい、卵のパン好きだ」
「乳製品好きみたいですね」

「コーンポタージュみたいに、料理の甘さは好きだが、甘いものは苦手だ」

 小さく息を飲む、院長の顔の片側がまずいって感じで歪んだ。

 そのあとは何事もなかったかのように、喉が鳴るくらい、牛乳を流し込んでいる。

 ふだん、クールでポーカーフェイスの院長が、初めて見せる貴重な顔を拝見した。

「あのときのマシュマロやプリン」
 だんだん語尾が小さく消えてしまった声は、院長に届いたかな。

「あのときの、院長と香さんの雰囲気が不思議に思いました。無理して食べてくれてたんですね」

「せっかく作ってきてくれたのに言い出せない、優しい気遣いを無下にできない」

「院長って動物にだけじゃなくて、人にも優しいんですね」
「人というか」
 卵パンを食べながら、俯いていた顔を上げる。
「川瀬だからだ」

 鼻柱も微動だにせず、まっすぐに見つめてくる。
 無頓着な院長が、こんなことを言うのが、意外で恥ずかしくて俯いた。

 クールなのに、そんな優しい気遣いしてくれてたんだ。
 一生懸命だったと思うけれど、わかりにくいのが院長っぽい。

「わかりやすい態度だったようだ、アネキは笑っていたよな」
「だから香さん、吹き出したり笑ってたんですね」
 頭の中を電流が走ったように、急に思い出した。

「えっ! リンのとき、オーナーの浅永さんもいっしょに、三人でチョコレート食べましたよね、よく我慢して食べましたね」

「あの雰囲気では断れない、食べるしかなかった」
「頑張りましたね」

「うん、飲み込める大きさになるまで溶かして、すぐに飲み込んだ」

『うん』って。子どもみたいな頷き方をして可愛い、頑張って食べたんだね。

「あのとき、うっすらと目に涙を浮かべてたのは、苦手なチョコレートを食べてたからですか」

「そんなわけがないだろう、浅永さんに寄り添う川瀬を見ていたら、胸が熱くなり自然に滲んできた」

 そうだったの? 泣いていたことも甘いのが苦手なことも、初めて知ることばかり。
 
 リンは、私にとってルカとおなじくらい忘れられない子。身を呈して、私を成長させてくれた子。

 当時は、身も心も疲れ果てた不安定な浅永さんを、私たちは懸命に支えていた。

 怒り任せに泣き叫び、取り乱す浅永さんとの緊迫した毎日の中で、チョコレートのときは、落ち着きを取り戻してくれていた。

 ほんの束の間でも、温かく感じられたひとときを送れた。 

「誕生日のときのケーキ、私に二つくださいましたね」
「二つとも川瀬に食べさせたいから、二種にした」

「ケーキ苦手なのに、わざわざ買って来てくださったんですね」

「川瀬の喜ぶ顔が見られたら、それだけでいい」
「ありがとうございます」

「俺が、川瀬の嬉しそうな顔が好きなだけだ、礼はいらない」

 じわっと微笑みが溢れちゃう、照れちゃって素直じゃないんだから。
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