恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 食後に院長が口を開いた。

「洋画を観よう、よくできたストーリーだ」
「どんなストーリーですか」
「観ればわかる」

 唇を結んだままの院長の口角が、楽しそうに上がる。

 院長の顔を見ていたら、私まで楽しくなってくる。いったい、どんなストーリーなんだろう。

「その前に、ちょっといいか、患畜を見てくる、あと給餌」
 一瞬で仕事の顔に戻った院長。

「私も、いっしょに行きます」
 反射的に腰を上げた。

「や、ひとりで大丈夫、朝食の後片付けをしておいてくれ」

 歩き出す院長のうしろを歩き、玄関まで見送ると、長くしなやかな腕が、私を引き寄せて抱き締めた。

 思いのほか大きく喉が鳴り、どきどきした鼓動を持て余しながら、院長の腕の中に包まれていた。

「川瀬としたかった」
 瞳をきらきらさせながら、頬にキスをする。
 高い鼻先が、無意識に頬を撫でるから、クシュクシュくすぐったい。

「こんな幸せでいいのかな」
「それは俺のセリフだ、様子を見てくる」
「いってらっしゃい」

「それも川瀬に言われたかった、いっしょに行ったら聞けない」
 閉めるドアの隙間から、優しい笑顔が覗き込む。 

 まさか、院長と二人で朝を迎えて、玄関先で見送るなんて想像もしなかった。

 しわくちゃの部屋着に寝癖、本当に院長って動物以外は無頓着なんだ。

 それだけ、動物だけに意識を向けて、動物の命を救うためだけに必死なんだよね。

 それに、よく言えば飾り気がない。ってことにしておこう。

 あれだけ容姿や仕事ぶりが完璧だと、私が緊張しちゃうから、あれくらい無頓着にリラックスしてくれているほうが、気が楽。

 片付けたころ、玄関の方から足音がした。患畜の様子を見て来た、院長が帰って来た。

「ただいま、嬉しそうな顔をして、逢いたかったのか」

「顔を見て安心しました、ヴァンスも他の子たちも落ち着いてるんですね」

「嬉しそうな顔の理由は、それか」
「拗ねないでください、おかえりなさい」

「これも川瀬に言われて、迎えてほしかった」

 表情が一瞬で笑顔に変わり、ぎゅっと抱き締められたら、温かい感触が頬に触れる。

 頬から離れた顔を上げて、じっと真剣な目で見つめてきて、今度はキスが唇に降り注がれた。

「たった少ししか離れていなかったのに、こんなにも恋しいだなんて」
 まるで、何十年も逢えなかったみたい。

「川瀬に触れると、思考のバランスが完全に逆転する。感情が理性を、軽く追い抜いていく」

 院長ったら、歓迎会のときに香さんが言った通りになった。

 名残惜しそうに、体を離されちゃった。

「甘い唇だ、この甘さは苦手ではない」
「二人の唇がとろけて、ひとつになっちゃう」

「発想がユニークだ。ソファーに座っていろ、なにを飲む?」
「院長と、おなじものがいいです」
「わかった」

 大きな画面の前の、ゆったりくつろげそうな、クリーム色のソファーに腰かけた。

 今思えば、どの室内もシンプルであっさりした風景なのは、ただの無頓着だからかな。ごちゃごちゃが面倒くさいのかも。

「おまたせ」
「院長、朝からビールですか」
 両手にビールを持って、立っている院長を見上げる。
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