恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「休診日だ、患畜も安定している。川瀬もいる、ゆっくり二人でくつろいでも、罰はあたらない」

 中腰の院長が、リモコンを手に再生ボタンを押す。
 
 えっ。

 院長のことを下から上に、舐めるように視線を移していった。

「そんな顔で見るな、もう我慢しなくてもいいだろう」
 自然に隣に座ってくる院長が、困ったみたいに微笑む。

「隣同士で座るのが慣れてないから、嬉しいのと恥ずかしいので、好きすぎて困っちゃう」

 自分でも、なにを言っているのかわからないくらい、どきどきしちゃう。

 太ももまで隠すTシャツの裾を握り締め、腰を浮かせて移動した。

「距離が近いです」
「離れるな」
「近い」
「離れるな、隣に座るぐらい、なんでもないだろう」
 逃げれば追って来る。

「距離が近いです」
「逃げるな、とっくにキスをしただろう」
「近いです」
「逃げるなって、手だって、とっくにつないだだろう」
 二人の距離が、ぐんぐん縮まってくる。

「近い」
「待てったら、ああっと、ほら、昨日から、いろいろなこともしただろう」
「近いですったら、あっ」
 息が止まり、肩が上がった。

「行き止まりだ、さあ、どうする?」
 楽しそうに笑って。
「困った顔も可愛いな」

「ノンネのときは、香さんに聞かれたらまずいから近くに座ったら、『距離が近い、離れろ』って言ったのに。あっ、大恩のときもだし。あとは、たくさん」

「川瀬の中では十以上の数は、たくさんなのか」
 笑う院長を尻目に、視線を宙に泳がせてみた。

『距離が近い、離れろ』って、口癖みたいに何度も散々言われた気がする。

 院長の笑顔が真顔に変わり、改まった顔になった。
「大恩やノンネのときは、とっくに川瀬を意識していた」
 意識していたの? さりげなく大きな告白。

「やっぱり恥ずかしいです」
「ああ、わかった。それなら反対側の隅に行く」
 腰を少し上げるから、とっさに言葉が口を衝く。

「やだ、行かないで、行っちゃダメです」
 逞しい二の腕を両手で握り締め、子供がいやいやをするように首を振った。

 院長ったら嬉しそうに頬を緩ませて、真っ白な歯を見せて笑う。
 右側って、こんなに温かいんだね。

「『距離が近い、離れろ』って、いつも言ってたのは照れてたんですか」

「それもある、あとは好きだから隣にいると緊張していた」
 照れくさそうに、首の後ろを撫でている。

「院長が緊張するんですか、信じられない」
 それより、好きって。そっちのほうが信じられない。

「照れと緊張で、うまく話せなかったから、愛想も素っ気もなかった」
 耳まで、ほんのり赤く染めて照れちゃって。

「つっけんどんで、クールで素っ気なくて」
「俺の短所を挙げるときは、口が滑らかになるのか?」
「違いますよ」
「そんなに声を上げるな、冗談だ」

 おいしそうに喉を鳴らして、ビールを飲んでいる微笑みが幸せそう。
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