恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 ***

 いつもと変わらない朝の入院室では、今日も院長が患畜の処置を施している。

「今日は院長もグリーンのスクラブですね」
「だから?」
 愛想も素っ気もない表情は、もちろん視線は患畜に向けられて、ちらりとも見てこない。

「お揃いのスクラブだったときは、あとから入って来た方が飲み物を奢りましょうよ」

「賭けか? スクラブの色が何色あるか知っているだろう。めったに色は、かぶらない」

「だから、おもしろい賭けなんですよ」

「最初から成立しない賭けだから、もっと大きな賭けを提案したらどうだ」
 一笑に付された。

「例えば、どんなのが大きな賭けですか」
「好きに考えろ。相手に不足はないだろう。勝てる確率は低い」

「負ける確率だって低いです」
「負けず嫌いを煽ったか。いったい、どんな確率の計算なんだ」

 ホワイトボードに視線を馳せるから、視線を追うと片側の口角を少し上げた顔が見えた。

 軽くあしらう表情に気づかれないように、あっかんべーだ。

「院長に話したいことがたくさんあります。モカが男性を苦手な理由は、なんだと思いますか。それに代診が海知先生って、どうしてですか」

 興奮気味に話す私に患畜を連れて来た院長が、保定の指示をする。

 処置をしながら顔も上げることなく、「それで? 話の続きは?」と、冷静に聞いてくる。

 すべて話すころには患畜の処置が終わった。

「終了、外来に行くか」
 院長のうしろについて、一階に下りた。

「院長、ちょっとよろしいでしょうか」
 受付から香さんが、薬棚の前にいる院長を呼び寄せる。

 こういうときは、たいていなにかがあったとき。
 受付から死角になるところから様子を眺めた。

「ウサギさんなんですが。こちらが飼い主様です」
 院長がオーナーに挨拶をして、ウサギの様子を聞いている。

 一通り話を聞いた院長が香さんに顔を向けた。
「診察室にお通しして」

 大丈夫なのか、半信半疑の顔で院長を仰ぎ見る香さんと、なんてことない顔の院長の顔の違いに二人の性格が表れている。

 オーナーが受付を去って、香さんが不安げに院長の顔を見る。

「うちは犬猫病院だから、ウサギは診察してないって伝えたのよ。オーナーは、それでもいいって」

「オーナーは承知で頼ってきたんだろう、連れて来られたら断れない」

「大丈夫なの?」
「やれることは出来る限りやる」

 香さんの言葉も待たず、問診票と新しいカルテを片手に、院長みずから診察室に入って行った。
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