恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 食器を洗う院長に申し訳ないから、すすごうと隣に並んだ。

「距離が近い、離れろ」
 口癖なのかな、挨拶みたいに聞かされるから免疫力がついてくる。

 食後にリビングでニュースを見ていたら、今の集中豪雨がトップニュースで取り上げられている。

 地下街に雨水が流れ込み、マンホールからは水が噴出しているVTRが流れた。

「外出は危険だ。この状況で帰るなんて無謀だ」
 呆れた顔で私を見たかと思ったら、大きなため息をつく。

「根性で帰るつもりだったんですが、おかしいですか」
「根性?」
 裏返る声に驚いた顔が合わさって笑われた。

「この状況で使わなくても、根性の使い途は他にもたくさんある」
「それなら、今は根性の貯金をしておきます」
「発想がユニークだ」

 テレビの音声に交じってきた音に耳を澄まし、院長に声をかけようとしたら立ち上がり、テレビの電源を消して茶トラちゃんを連れて来た。

 やっぱり茶トラちゃんの鳴き声だったよね。
 命をつなぎ止めるために必死に鳴く力。

 こんなに小さな体には、計り知れない力が宿っている。

「そっか、そっか、お腹がすいたのか」

 優しく茶トラちゃんをあやす低い院長の声って落ち着くのに、モカみたいに苦手な子もいるのね。澄んでいて耳に心地いいのに。

 ソファーに座る私に院長が当然のように茶トラちゃんを預けて、キッチンでごはんの準備をしている。

 ぬるま湯で濡らしたガーゼで、茶トラちゃんの目の周りを拭いた。

「いい子ね、具合はどうかな。よしよし、鼻水は水っぽいね。にゃんこ、お鼻も拭こうね」

「お待たせ、ほら食べろ」
 優しい声。

 おなじ命令口調なのに、私のときは語尾がピリ辛で、茶トラちゃんのときは激甘なんだから。
 なに、この扱いの違い。

 さっきとおなじように、ドライをぬるま湯でふやかした柔らかいごはんなのに、口をつけない。

 猫用ミルクも口にしない。

「“ねえねえ、あたち、お腹すいてるのよ”って鳴いてたのに。にゃんこ、どうしたの」

 ペットシートの上で尻込みしている茶トラちゃんに、ピンときた。

「さっきは、お腹がすいてて夢中だったけど、今は少しごはんが怖いのね。これなら安心して食べられるでしょ」

 手のひらに乗せて、茶トラちゃんの口もとに持っていった。

「これ食べたことあるよね、思い出した? おいしいでしょ」

 ずっと子猫を見守っていた顔を上げ、院長に笑いかけたら、また左下に視線をそらされた。

 見てたなら、にっこり笑えばいいのに。

 それより、一生懸命に食べる茶トラちゃんが可愛くて目を奪われる。
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