恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない

　立ち聞きなんかしていないって。訴えるように、院長の顔を仰ぎ見た。

「だから、わかった。たいした話ではない」
　血も騒がないような冷静な顔が、丸めた資料で私の頭をぽんとする。

　恋愛をすることが、たいした話じゃないって大変な人生を送ってきたんでしょうね。

　だって黙っていても女性が殺到して群がりそうなモテ要素を、あんなに持っているんだもん。

　つっけんどんで素っ気ない。裏を返せばクール。
　だから黙っていても寄って来られていそうだし大変そう。

　そんな環境にいたら、めんどくさいのかな、恋愛。
　なんて、恋愛経験なしの私がなにを言う。

　「明彦、二度目よ、ちょっと来てって言ってるでしょ」
　香さんのよく通る声は、ちょっぴり呆れた声。

　受付に引き返す途中の院長が歩きながら、首だけ動かして見てくる。

「どうしてついて来るんだ、金魚の糞。また立ち聞きか」
「だから、違いますったら」
「距離が近い、離れろ」

　本当に一歩の歩幅が広い。

　生まれてから、ほとんど股関節を動かしていないんじゃないかってくらい。

　私なんか、ちょこまか小走りで股関節が動きっぱなしなのに。

　あっという間に受付の香さんに話しかけている。
「どうした？」

　パソコンの前に座る香さんが、院長の声に反応して見上げる。

「この処置料、千円上げるわよ」
　返事を聞くこともなく変更したみたい。

「勤務医みたいに臨床だけ集中していればいいって考え方はダメよ」
　パソコンのキーボードを叩きながら、私に言ったのかな。

　相づちを打つか迷っているうちに、香さんは気にせずに話を続ける。

「あとは、どんぶり勘定経営が原因で多額な借金を残して閉院。そういうのは今の時代、掃いて捨てるほどあるから、お金にシビアになるわ」

　独り言かな。

　院長は返事もしないで、明後日の方向を見ながら、右耳の耳たぶをぐりぐりして、顔を歪ませている。

　何度も聞かされているんだね。

　動物病院は自由診療だから、小川でも院長が処置料や検査費用やオペ費用とか、よく上げていた。

　みんな、どこもおなじなんだね。

　どこの院長とも言えないけれど、ほとんどの動物病院の院長は、動物が好きで助けたい気持ちが人一倍強い。

　もちろん動物看護師や受付のスタッフ一同も。

　でも動物病院はボランティアじゃない。経営者は、それだけではやっていけない。
　
「経営していくのは大変。でも収入は、勤務医と雲泥の差で驚くほど高収入だけどね」

　それは、しっかり者の香さんだからでしょ。すべての動物病院が、そんなわけじゃない。

　やり手のお姉様に、院長は頭が上がらないのかな。

　話が一段落したあと、院長から指示が出された。