恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 院長が保定のやり方を教えて説明に入っていく。

 池峰さんが耳掃除を覚えてくれたら、ノンネの耳は清潔に保たれる。
 いつでもノンネが、快適に過ごしてほしい。それが院長の願いだと思う。

 院長は動物への気持ちが強いから、教える距離が近くなり、池峰さんと触れ合う。
 そうすれば、おのずと顔も近くなる。

「ここまで質問はありませんか」
「はい」
「大丈夫ですか」
「はい」
 説明をするたびに、ノンネの耳もとを見ている院長が顔を上げるから、池峰さんのすぐ目の前に院長の顔がくる。

 恥ずかしそうに上ずる池峰さんの声。

「では、耳掃除を代わりましょう。よろしいですね?」
「はい」
 院長が池峰さんの腕から、ノンネを抱っこする。

 池峰さんもすらりとした長身だから、院長が腰を屈めたり椅子に座らなくても耳掃除ができる。

 二人のバランス、ちょうどいい背格好。

 院長が言葉で説明しながら、手が出せないから顎を突き出し、『ここを』とか『こちらから』とか『そこです』って。

 それに関して、院長にはもどかしさもない。だってノンネのことを考えているでしょうから。

 あまりに池峰さんがわからないときは、院長に指示されなくてもフォローして教える。

 院長はわかってくれるのが嬉しいのか気持ちよさそうに、『そこだ』とか『それを教えたかった』とか、すっきりした顔で微笑んでくる。

「ノンネちゃん、お耳のお掃除終わったよ。お耳の中が気持ち悪かったよね、我慢して偉いね」
 話しかけながら、タオルでノンネの耳を拭いてあげる院長。

「お疲れ様です。初めてにしては上出来です。ノンネちゃんは、おとなしくてお利口さんですね」
「ありがとうございます」
 池峰さんが、はにかみながら長くサラサラした髪に、しきりに触れている。

「いくら、おとなしいノンネちゃんでも不快なことをされたり、触れられて嫌な部位は反射反応が出ます」

 穏やかに微笑む院長につられて、私の頬まで緩む。
 本当に動物に関しては、とろけそうな笑顔になるんだから。

「筋がいいですよ」
 診察が終わり、待合室に足が向きかけた背中に、院長の優しい褒め言葉が届いたみたい。

 振り返る池峰さんの顔は、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 ちらりと二人を仰ぎ見れば、軽く会釈をする院長も嬉しそう。凄く絵になるお二人。

 見送って、すぐに片付けを始める。

「お疲れ様です、大変でしたね」
「ノンネのことを想えば、なんともない」
 院長は、しれっと涼しい顔で言って診察室をあとにした。

 動物以外は無頓着なのは、わかります。

 でも女性は“お疲れ様、大変だったよな”って、共感の言葉が欲しいんです。
 ただそれだけなんです、院長。

 それとも女性がじゃなくて、私が院長から欲しい言葉なのかな。私が院長に求めすぎなの?
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