恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
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 翌朝の目覚めは気持ちがよくて、カーテンを開けて伸ばす体もすっきりして、満面の笑みがこぼれる。

「お父さん、おはよう。今日は、いつにも増して気持ちいい朝なの、とってもね」

 体力勝負の仕事だから、朝からがっつり食べる。
 精神的にまいると、すぐに食べられなくなっちゃう心身は、わかりやすい。

 今朝は絶好調で、足取り軽やかに出発した。

 束の間の秋を楽しむ金木犀が、可憐な朱色の小花を咲かせて鼻腔をくすぐる。

 相変わらず日射しは暑いけれど、やっと風が秋らしくなってきた。
 
 少し涼しいそよ風を胸いっぱいに吸い込んで、保科へと急ぐ。

 病院の前を掃除する香さんに挨拶して、三階まで駆け上がって、淡いブルーのスクラブに着替えて待機室に行った。

 また今朝も電気が点いている。バディのときみたいに急患?

 待機室に入ったら、院長がパソコンの乗ったデスクに倒れるように眠っている。

 ロングのドクターコートを脱いだ深緑のスクラブから見える逞しい腕に、ちょこんと顔をあずけて眠っている。

 寝息を漏らす無防備な寝顔が子どもみたいで可愛い。
 しばらく見ていたら、閉じた瞳の睫毛がちらりと揺れた。

 ゆっくりと上体が起き上がり、持て余す腕を天に向かい伸ばすだけ伸ばして、眩しそうに目を擦る。

「おはようございます、お疲れ様です」
 長く濃い睫毛にまで寝癖がついて、とろんとした顔は半分眠っているみたい。

 柔らかい髪の毛にも寝癖がついている。

 伸びたからカットしたらいいのにと思って、先週と今週と二回さりげなく伝えた。

 でも無頓着だから、まったく行く気がない様子。

 いつも洗面所で水をつけて、さささと髪型を整えて直るから、寝癖なんか気にしないみたい。

「どうした?」
 かすれた声で聞いてくる。寝ぼけているの?

 どうしたって、朝だから出勤して来たの。コーヒーを入れて院長のデスクに置いた。
「ありがとう、もう出勤の時間か」

 首すじを撫でたあと、胸を張るように両腕を真横に伸ばすしぐさから、吐く息の中に交って低くかすれた声が漏れる。

「急患ですか」
「夜間、室内の熱中症」
 あああ、思わず納得の声を出した。

 まだまだ残暑厳しいし、なにより湿気が多いから熱中症の患畜は減らないか。

 とはいえ、冬でも熱中症は十分に起こる。

「軽度でしたか? 意識は?」
「呼吸数上昇、体温四十度以上、多量のよだれ、ふらつき、舌と歯肉の赤み」

 まだ喉も眠っているみたい。低い声が聞き取りづらくて耳を澄ます。
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