絵本男と年上の私。
31話「思い出した出会いの時 後編」
31話「思い出した出会いの時 後編」
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10年前の自分は荒れていた。白自身もそう思っていた。
当時の白は、夢を叶える為に必死にもがいていた。といっても、好きな事でもあったので苦ではなかった。
白の夢は絵を描いて生きていくこと。
絵を描く仕事であれば、デザインでも絵描きでも、イラストレーターでもなんでもよかった。
そのためには、たくさんの練習、たくさんの作品、たくさんの手法を学んでいきたかった。そのためには、時間が足りないのだ。
学校生活の中でも、出来る限りの事はしたかった。
だが、好きな事だけやっていればいいわけではないのだ。中学生というのは、最低でもクラスメイトという他人と接しなければいけない。
他人と関わっている時間があったら、夢のために練習を重ねたかった。
だが、絵を描いていれば「何やってるんだ。」とちょっかいを掛けてくる奴がいる。本を読んでいれば「何を読んでるんだ。真面目だな。」と馬鹿にしてくる奴がいる。少しでも仲良くなると「遊ぼう。」と誘ってくる奴がいる。
そんなクラスメイトから逃げるように生活していたため、白は当たり前のように孤立した。
声を掛ければ睨み返してくるような白をクラスメイトは怖がっていた。
そんなある日だった。
職場体験という校外授業があった。
白はデザイン事務所などを希望していたが、受け入れ先が見つからなかったのか決まった職場の項目にはなかった。
そのためまったく興味がなくなったため、希望調査の紙を白紙で提出したところ、最悪な結果になった。
白の職場体験先が保育園になったのだ。
「最悪だ・・・。」
学校でほとんどしゃべらない白だったが、職場体験のプリントを見た瞬間、そんな声が漏れていた。
たかが2日間だけかもしれないが、他人とは関わりたくないのによりにもよって子どもの集団の場に行くことになったのだ。保育園ともなると子どもと関わるのが必須だろう。
自分が子どもと遊ぶ姿など白自身も想像が出来なかった。
「はぁぁぁああー。」
大きなため息を零して、そのプリントを乱暴にカバンにしまった。
そして職場体験当日。
想像通りに、子ども達は白に近寄ってきた。子どものパワーに押されそうになりながらも遊びを断ったり、その場から逃げるを繰り返すと、子どもも「遊んでくれない人。」と認識するのか、そこからは白に近寄らなくなった。
そのため白は保育室の隅でただ座っているだけだった。
白が入ったクラスには、保育士が2人いた。ベテランの保育士と若そうな保育士だった。
白に声を掛けてくるのはベテランの保育士のみだったが、若手の方はいつも心配そうに白を見ていた。そして、いつもベテランの保育士に質問ばかりしていたので「新人なのか。」と白は思った。
初日は、何事もなく終わった。
だが、2日目に事件が起こった。
「おまえ!それに触るなッ!」
白は気づいたらそう怒鳴っていた。
自分の手には、怒鳴った相手の子どもから奪ったスケッチノートがある。そして、その子どもの顔は驚いて目と口が開いていた。だが、すぐに顔を歪ませ大きな声で鳴き始めたのだ。
その表情を見た瞬間、白は「くそッ!」と小さな舌打ちをして、そのまま逃げるように部屋を出た。その時、新人保育士と目があった。
その新人は何故か白を見て、自分が怒られたかのように泣きそうな顔をしていた
(なんであんたがそんな顔をしてんだよ。馬鹿じゃないか?!)そんな事を内心で思い、すぐにその新人から目線を逸らして保育室を飛び出した。
人がいないところを探すと、保育園の端に明かりがない小さな部屋があるのに気づいた。白はその部屋の前に立ち、中を見るとたくさんの絵本が置いてあった。どうやら小さな図書館のようだ。
そこには人気が全くなかったので、白は勝手に入り奥に隠れるように座り込んだ。
「なんで、あいつが泣くんだよ。あいつが悪いんだ。」
ため息をついて、手に持っていたスケッチノートを見つめた。
白が大きな声を出したのには理由があった。保育園の子どもが、白のカバンから勝手にノートを取り出していたのだ。何か気になったようで、「これ、お兄さん描いたの?」とノートを持って満面の笑みで白に聞いてきたのだ。
スケッチノートは白にとって大切な物だった。夢を叶える為に、好きな絵をこれからも描いていくために練習を繰り返したもの。
それは、一つ一つが大切な作品であり、白にとって宝物だった。誰に見せるわけでもない。自分だけの作品。
それを勝手に触られた事に、白は我慢出来なかった。
他人の物を勝手に触ったのだ、怒鳴られても仕方がない。
そう思っているのに、頭の中は小さな男の子の泣き顔、そして新人の悲しげな表情が消えなかった。
ため息をつきながら、暗い部屋の中で自分のスケッチノートのページを捲った。そこには最近描いていた妖精の絵があった。
インターネットで見つけたイラストレーターの作品を見て、衝撃をうけたのだ。それはデジタル画でかかれたファンタジーゲームに出てくるような妖精が描かれていたのだ。
神秘さはもちろんだったが、生き生きと踊るように飛ぶ姿、何か妖しげに微笑み妖精の表情はとても綺麗だった。
それからは、真似をするように妖精を描くようになった。だが、何度描いても納得がいく物が出来ずにいたのだ。
「やっぱりデジタル画もやってみたいな。」
そう呟いた瞬間。
「羽衣石くん?」
ドア付近から自分を呼ぶ声が聞こえた。
咄嗟にスケッチノートを閉じ、声の主の方を見る。すると、探して追いかけてきたのであろう白が入っていたクラス担任の保育士がいた。だが、いつも話しをするベテランの方ではなく新人の保育士だった。
白が睨むように彼女を見たせいか、目が合うと一瞬体を強張らせたのがわかった。
(あぁ。こいつも俺が怖いのか。)
そう思うと、何故かどうでもよくなった。
この状態から脱することができるなら、白は何でもいいと思ってしまったのだ。
「すみませんでした。」
「え・・・?」
「栗花落先生は、俺を怒りに来たんだろ?」
そう言うと、その栗花落先生という新人保育士は、少し驚いた表情を見せた後、何故か微笑んだのだ。
怒りにきた相手に、何故そんな顔を見せるのか不思議に思った。
「怒ってるんじゃないよ。どうして大きな声を出してしまったのか聞きたかったの。何か理由があったんでしょ?」
そう微笑みながら言ったのだ。
この言葉は、白には忘れられない言葉になった。
相手に悪いことをしたら怒られる。それが当たり前だった。
だけど、その理由をしっかり聞いこうとする対応は、初めてだった。
子ども相手に怒った自分が悪い。そう思っていた。みんなそう思うだろう。だけど、怒った理由がある、とこの先生はわかってくれた。
その言葉とその行動が、白を驚かせたのだ。
気づくと白は、その栗花落しずくという新人保育士にぽつぽつと経緯を話していた。
栗花落先生は、2日間見ていただけだったが、ころころと表情が変わる先生だった。
子どもと遊ぶときは一緒に笑顔になるし、子どもが泣いているのを慰める時は自分まで悲しそうな顔になっていた。特に絵本を読み聞かせするときは、その出来事に合せて表情が変わっていて、見ていて何故かほっとした。
目の前にいる栗花落先生はすごく辛そうな顔をしており、自分も同じ表情なんだろうかと思わされた。
「なるほど。あおいくんが羽衣石くんの大切なノートをかばんから取ってしまったんだね。」
「・・・はい。」
「それはダメな事だったね。でも、あおい君も何か理由があったのかもしれないね。」
「・・・俺も怒鳴ったのは悪かったかもしれないって思うんだけど。でも、取られるのは、いやだった。」
「じゃあ、話だけでも聞いてみようか。」
「いいです、別に。勝手に取られたことには変わりないし。」
何か理由があったら、人の物を好き勝手に取っていいとは到底思えない。それが、子どもだから許されるとも。
「そっか。」
栗花落先生は、にこりと笑ってその言葉を受け入れた。
普通だったら怒られることなんだろう。年上なんだから、子ども相手なんだから我慢しなきゃいけない。許さなきゃいけないと。
でも、子どもだから、大人だからという事を関係なく、同じ立場にたって話しを聞いてくれるのが彼女なのだ。
それが理解できないが、すごく憧れた。自分には出来ない、と。
「私は、羽衣石くんの話を聞きたいし、あおい君の話も聞きたい。そして、それを聞いて2人がどう思うかは自由なんだけど、お互いに思いを知る必要はあると思うんだ。」
「・・・・。」
「信じてみて。」
「・・・何を、ですか。」
「とりあえず、私から!私は羽衣石くんの気持ちすごーくよくわかるよ。子どもが勝手に絵本を持って行ってびりびりにやぶかれた時は、さすがに怒ったし。」
「・・・栗花落先生も怒るんですか?」
「えー、怒るよー。先生でも!」
少しふざけたように笑いながら、栗花落先生は自分の話しをしてくれた。子どもに優しい先生でも怒るんだなーなんて少し驚きながら話を聞いていた。
「その後ね、その子どものお母さんからお電話がきたの。うちの子が絵本を破ってしまったってお家で話したって。絵本に書かれていた花がとっても綺麗だったから、お花が大好きなお母さんに見せたかったみたいなの。そのお母さん、誕生日だったんだって。」
その出来事を遠くを見つめながら懐かしそうに話していた。
「それを知ってから、怒る前にちゃんと話しを聞こうって思ったの。そしたら、怒る理由も変わってくるでしょ?怒るのって、自分も嫌な気持ちになっちゃうし。疲れちゃうし。」
「・・・・疲れちゃうから、怒らないんですか?」
それを聞いて、何故か全身の力が抜けて、気づいたら小さく笑ってしまった。
すごくいい話をしていたのに、「怒るのは疲れる。」なんて言うとは思ってもいなかったのだ。だが、それでも、その気持ちがなんだかわかってしまう。
いつも気を張ってピリピリとした中で生活をしている自分にはよくわかるのだ。
白が笑ったのを、栗花落先生が見つめ、そして嬉しそうに笑った。
そして、何か声を掛けようとした時に、図書館のドアが開いた。