彼と彼女の花いちもんめ~溺愛王子の包囲網~
ふたりの”仁科”さん
昼下がりの食堂はがらんと静まり返っている。
 休憩がてら、ジュースを買いに来た仁科みちるは。思案顔で自販機を見つめていた。
 上司と、後輩に頼まれたカフェオレは購入済だ。
 昨日は珍しく炭酸を選んだが、結局最後まで飲み切れずに捨てることになった。
 今の気分だと、百パーセントのオレンジかグレープフルーツといったところだが・・・
「んー・・・サイダーに再チャレンジするかなー?」
 独り言を呟いて、光るボタンを前に指を迷わせていると、背中から声がかかった。
「手紙、見たよ。いきなりで驚いたけど」
 若い男の声だ。
 自分に向けたものではないと思って無視していると、名前を呼ばれた。
「仁科さん?」
「え?」
 意味が分からず振り返る。
 みちるが怪訝な顔を向けた先には、スーツの男が立っていた。
 営業部の南野篤樹(みなみのあつき)。
 みちるが所属する総務は、社内の各部署とやり取りが多い為、何度か話したことがある。
 社内でも人気の社員だ。
 が、私的に関係があるわけでもない。
「あの・・・手紙って?」 
 眉根を寄せて問いかけるみちるの顔を、楽しそうに見つめ返した篤樹が、え?と返した。
「机のメモ」
 記憶にあるだろう?と窺うような視線を向けてくる篤樹。
 みちるは首を横に振った。
「記憶にないんですけど」
「え?」
 途端、蒼騎の顔が険しくなった。
「食堂で待ってるって・・・仁科さんじゃなくて?」
 はあ、と曖昧に頷きながら、みちるはこの状況を改めて把握しようとした。
 彼曰く、みちるの名前が入ったメモが机に置いてあったとの事。
 それって、つまり、お話があります、的な事だよね?
 もちろん仕事の話なわけがない。
 え・・・ちょっと待ってよ?
 冷静に考えれば考える程、とんでもない状況に思えてくる。
「違います!あたしじゃないです!それっ!」
 誰かが、篤樹を呼び出したかったのは間違いない、けれど、ぞれはみちるではない。
「え、でも、確かに仁科って・・・」
困惑気味の篤樹。
みちるは、眉根を寄せてこちらを見下ろして来る長身を見上げた。
 確かに何度か書類のやり取りをしたこともあるが、個別に手紙を渡すような間柄ではない。 
 部署も違うし飲み会で出会ったこともなかった。
 そもそも、営業部は社内でも人気の男性社員が多い花形の部署だ。 
 地味な総務部に飲み会の声がかかる訳も無く、あくまで仕事でしか関わった事がなかった。
 そんなみちるが、篤樹を呼び出す訳がない。
 自殺行為に等しい自虐行為だ。
 あたし以外に、仁科っていえばー・・・!
「あ、あの・・・仁科さんって、管理部のほうじゃ」
 社員の勤務体系や、福利厚生を管理する管理部に所属している女性社員がいたはずだ。
 みちるの言葉に、篤樹が思い当たったように頷いた。
 そして、急に顔を赤くする。
「・・・ご、ごめん・・・」
「え、いえ・・・紛らわしいですよね」
 本来なら知る必要の無かった、情報を知ることになってしまった。
 恐らく、管理課の仁科はここに篤樹を呼び出して、告白をするつもりだったんだろう。
「俺、てっきり仁科さんだと思って・・・」
「タイミング悪くここに来たのはあたしだし、このことは黙ってるんで」
 気にしないようにと微笑み返して、再び自販機に向き直る。
 やっぱりサイダーにしよう。 
 残りそうなら、後輩に半分引き受けて貰えばいい。
 ボタンを押すと、背後で盛大な溜息が聞こえた。
「ほんとに・・・ごめん」
 照れたように赤くなった篤樹が、しきりに謝ってきた。
 いつもの爽やかな印象から一変、可愛らしい男の子に見えてくる。
「大丈夫です、気にしてませんから」
「あ・・・いや・・・」
「あたし、もう行くんで、お疲れ様です」
 困ったように言葉を探す篤樹を残して、みちるは食堂を後にした。
 廊下を歩いていると、向こうからやって来る管理課の仁科とすれ違った。
 やはり、こちらの仁科だったようだ。
 社内の人気者に憧れる女性はいても、実際に突撃出来るものはそうはない。
 管理部の仁科、といえば、華やかな顔立ちで有名な今年の新入社員だ。
 やはりあれくらい美人でないと、簡単に呼び出せないわけか。
 そのうち、社内にカップル誕生の噂が回って、影で泣く女性社員がいるわけだ。
 それにしても、普通、仁科と言えば、美人で有名なもうひとりを思い浮かべるはずなのに、どうしてまた、みちるからの呼び出しだと思ったんだろう。
 最近仕事で関わったからかな?
 深くは考えずに、ひとまず、誤解がとけた事にほっとして、みちるはエレベーターに乗り込んだ。

 だが、この“誤解”はそれだけでは終わらなかった。
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