彼と彼女の花いちもんめ~溺愛王子の包囲網~
初デートは甘めで
初めてのデートは、みちるの要望で水族館になった。
 リニューアルオープンして以来、デートスポットとして人気が出ていたが、女同士で行くのも気が引けて、避けていたのだ。
「前から、行きたかったんだけど・・・水族館で嫌じゃない?」
 カップルや家族連れに混じって、イルカショーを眺めながら、心配になって尋ねると、篤樹はあっさり言った。
「むしろ、行きたい場所教えてくれた方が、プラン立てやすいし嬉しいけど」
「そう・・・なら、良かった」
「人ごみ好きじゃないんでしょ?」
「うん、あんまり得意じゃない。大勢の人と話すのも」
「じゃあ、次はどこ行こっか?」
「南野さんの行きたいところは?」
「俺は、何処でもいいよ。みちるの行きたい場所、教えて」
「行きたい場所って言われても・・・そんな直ぐに思い浮かばないんですけど」
 デート自体が四年ぶりなのだ。
 これ以上ネタを出せと言われても限界がある。
「気になってる場所は?」
「・・・あ、この間、テレビでプラネタリウムの特集見たんだけど・・・」
「ちょっと遠いけど、隣町まで行ってみる?」
 優しい問いかけに、みちるが頬を染めて俯く。
 こういう、特別な視線を向けられるたび、どうして良いのか分からなくなる。
「・・・何か、学生のデートみたい?」
「そう?楽しめれば、なんでもいいよ。俺は、みちるが楽しいと思える場所に行きたい」
「・・・いつも、そんなに優しいんですか?」
 緊張しすぎて敬語になったみちるを見つめたままで、篤樹がそっと手を握ってくる。
 目の前では飼育員が手にしたフラフープをイルカが次々潜り抜けていく。
 わっと客席から歓声が上がった。
 けれど、篤樹の視線は、みちるから動かない。
 真っ直ぐに彼を見つめ返す勇気は、まだ、無い。
「好きな子には、特別優しくしますよ」
 俯いたみちるの耳元に落ちて来た囁きは、とびきり甘くて。
「・・・あ、あたしだけじゃなくて、南野さんの好きな場所も、教えて」
 ぎゅっと目を閉じて告げたら、篤樹が少し考えるように黙った。
 恐る恐る目を開けると、穏やかな眼差しを向けられる。
 瞬時に、目を開けた事を後悔したがもう遅い。
「そうだなぁ・・・みちるが、俺の事、南野さんじゃなくて、篤樹って呼んでくれたら、教えようかな」
 悪戯っぽい微笑みは、直視するのが怖いくらいに魅力的だ。
 会社で見せる、人当たりのよい笑みとはまた別の、引き寄せられるような蠱惑的な表情。
 目の前で微笑む彼の、恋愛対象に自分が含まれている事が、信じられない。
 だって、もっと他にいるはずなのに。
 あなたの視線を真っ直ぐに受け止めて、それでも微笑む事が出来る相手が。
 見つめられるたび、逃げ出したい気持ちと、どうして良いのか分からない気持ちと、嬉しい気持ちでぐちゃぐちゃになる。
 好きだと言われれば嬉しくて、だけど、同時に不安になる。
 明日には、夢から覚めるような気がするのだ。
 けれど、そんなみちるの不安を取り除くように、篤樹は視線を合わせては幸せそうに微笑む。
 悪戯に、耳たぶに、頬に、唇で触れて、みちるの反応を確かめる。
 篤樹の指は、言葉以上に優しくみちるに触れる。
 壊れ物に触るかのように、丁寧に扱われるのは初めてで、指先や髪に触れられるたびに、みちるはますます狼狽えてしまう。
「・・・あ、篤樹」
 髪に触れる指から逃げるように顔を背けたら、追いかけてきた掌が背中に回った。
 緩く抱きしめられて、心臓が跳ねる。
 心底嬉しそうに篤樹が笑って、もう一回呼んで、と強請った。
「・・・あたしを殺す気・・・?」
 耳まで真っ赤にして、みちるが訴えると、篤樹が渋々腕を解いた。
 もうイルカショーの歓声も、BGMも耳に入らない。
 息も絶え絶えに篤樹を見上げるみちるの火照った頬を指で撫でて、篤樹が笑う。
「もっと喜ばせたいし、楽しませたい・・・でも、別の顔を見てみたいんだけど?」
「・・・泣けって言うなら、今なら泣けそうだけど?」
「えっ?」
「あたし、パニックになると泣くのよ。今もうすでにいっぱいいっぱいだから。これ以上許容出来ない事が起こると、泣くわ」
「これ以上触るなって事?」
「・・・なんでそれを訊くのぉ?」
 これ以上ない位に狼狽えながらみちるが言い返す。
「こういう場所で泣かせるのは本意じゃないよ。みちるの限界が何処なのか訊いとかないと」
「もうすでに限界ですっ」
 心臓は爆発しそうだし、異常なくらい体は熱い。
 思考回路はおかしな方向にねじ曲がっているし、視界には篤樹以外入らない。
 自分の体がまるで自分のものじゃないみたいに、いう事を聞かない。
 そもそも、自分がどうしたいのか分からない。
「離してほしい?」
 覗き込むようにして尋ねられて、みちるは咄嗟に首を振ってしまった。
 篤樹の腕の居心地が悪いという訳ではない。
 背中に回された手は優しく髪を撫でている。
 緊張はするし、どうしていいのか分からなくて困るけれど、嫌なわけじゃない。
 みちるの反応が予想外だったようで、一瞬驚いたように目を丸くした篤樹が、ほっとしたように微笑んだ。
「それなら、このままにしておく」
「え・・・あの・・・」
「みちるが嫌がる事はしないよ。嫌われたくないから」
 当然のように返されて、その言葉に安堵を覚える。
「・・・ありがとう」
 思わず口にしたら、篤樹が一瞬腕を解いて真面目な顔になった。
 それから、呆れめたようにもう一度みちるの背中を抱き寄せる。
「嫌われたくないけど、後は俺の理性に期待しといて」
「・・・・ええっ」
 転がり落ちた爆弾に、みちるが途端に体を硬くする。
 けれど、篤樹は腕を解こうとはしなかった。

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