彼と彼女の花いちもんめ~意地悪王子の包囲網~
”断るにしても、相手の話ちゃんと聞いてから決めなさいよ”

金曜の夕方。
定時を回ったあたしの机にやってきた松井さんがそう言った。

ついこの間まで南野さんに恋焦がれていたあたしとしては、無視できないセリフだ。

彼は、あたしの告白をちゃんと聞いてくれた。
しかも、勘違いして、彼の想い人を傷つけようとしたあたしを、怒らなかった。

あたしをきちんと認めてくれたうえで、他に好きな人がいるって。
どこまでも誠実に答えてくれた。

口説く方も、口説かれる方も、最低限守るべきルールは、ある。

彼が本気なら、尚更、あたしは逃げるわけにはいかない。

物凄く、逃げたいけど。

あたしを知りたい、なんて誰も言ってくれなかった。

”初めて見た時から、綺麗な子だなって憧れてて・・”

あたしが、見られたいと思った”仁科依子”を見つけて、認めてくれた人たち。

でも、彼は、見た目じゃないあたしを知りたいと言う。

彼は、あたしの何を知りたいんだろう。

”ちっとも嬉しくなかったわけじゃないでしょ?”

今村さんのセリフが蘇る。

本気。気になる。好きだ。

彼があたしの向けて言った言葉たち。これを、彼の真意を受け止めて、良いのだろうか。
「先に言っとくけど、酒はほどほどに」

「きょ、今日は飲みませんっ」

案内された席に着くなり先手を打ってきたのは柿谷さん。
先日の酔っ払い事件の事を根に持っているらしい。

「それを聞いて安心した」

「ほろ酔いのところをどうこう、みたいな事、今日は言わないんですね」

「ああ、もう言わないよ」

あっさり頷いて彼がドリンクメニューを差し出してきた。

それって、どういう意味?
あたしには、そういう事は言わないって意味?
それとも、他の女の子にも?

「ジンジャエールで」

神妙に答えたあたしを見て、柿谷さんが笑う。

「そんな硬くならなくても。言ったろ、取って食いやしないって」

「そ、そうじゃなくてっ」

「ああ、口説く、とか言ったからか」

そーよあんたのその不用意な発言のせいで、あたしは昨夜から寝不足だっつの。
恋愛未経験女を舐めんなよ!

生ビールと、ジンジャエールと、サラダや揚げ物を何品が注文して、再び半個室が二人きりになると、柿谷さんがテーブルに頬杖をついた。

「会社じゃない場所で、今度はふたりでゆっくり話したかったから、誘ったんだけど」
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