彼と彼女の花いちもんめ~意地悪王子の包囲網~
花いちもんめの結末は
恋愛は自己肯定に繋がると、何かの本で読んだ。
自分を認めてくれる相手がいる事で、自信を持つことが出来るから。
私は、ほかの誰かじゃなくて、あの人だけに、名前で呼ばれたい。
「仁科さん、ごめん・・ちょっといいかな?」
これまでも何度か仕事でやり取りをしている、企画部の藤沢さんがクリアファイルを手に、いかにも仕事で、といった風情で声を掛けてきた。
勿論、きちんと笑顔で答えて”高嶺の花”らしく、返事をする。
その場で話を始めると思っていた藤沢さんは、周囲をチラッと見まわしてから、私に窺うような視線を向けて来た。
「ここじゃ、ちょっと・・・来てくれる?」
その一言で、ピンと来る。
食堂や廊下で会う度、マメに声を掛けて来るなぁ、とは思っていたけれど、”高嶺の花の仁科さん”として見られている事は分かっていたので、踏み込まれる事は無いなと思っていた。
黒歴史を脱却して、異性の視線を集めるようになってから、あ、告白されるな、というのは雰囲気で分かる。
廊下に出た藤沢さんが、フロアの外にある小会議室に向かうのを見ながら、それは確信に変わった。
もう、何十回と繰り返してきた言葉。
最初は自分なんかがお断りするのはおこがましいと思って、オロオロしていたけれど、今ではもう慣れたもんだ。
好感度は損なわないように、けれど、変な期待は持たせないように、きっぱり返事をする。
綺麗であろうと努力する自分を、きちんと見てくれている人がいることは、やっぱり嬉しいし、励みになる。
揶揄いの視線や嘲りの声を投げられる時期が長かった分、その反動は大きい。
子供時代の苦い記憶は、意外にもしぶとく心の中に重たいしこりを残すのだ。
”関取依子ー!!”
きゃっきゃと無邪気にはしゃぐ男の子の集団の声が、未だに耳の中でこだますることがあって、その度、うっさい見てろ!とその記憶をぐちゃぐちゃに塗りつぶす事にも随分慣れた。
今の私を見て、関取なんて言う馬鹿は一人もいないんだから。
「あの・・仁科さん、急に呼び出してごめん。
ここ最近、ずっと噂が気になってて、それで・・どうしても、確かめたくて・・
営業の柿谷と付き合ってるの?」
「・・・付き合ってはいません」
「そうなんだ!?周りのやつらが、みんなそう言ってたから・・・じゃあ、俺にもチャンスはあるかな?
前から綺麗な子だなと思ってたけど、一緒に仕事するようになって、それだけじゃなくて、内面も可愛い子なんだなって思って・・それからずっと気になってたんだ。
俺と、付き合ってください」
絶対受け入れられないと分かっているのに、真摯に気持ちをぶつけられるとやっぱりなけなしの良心はちくりとする。
しかも、面倒くさい恋心を自覚したばかりの私にとって、藤沢さんの勇気ある行動は、本当に称賛に価するものだった。
こんな風にぶつかっていく度胸も覚悟も、まだ、ない。
「・・・そんな風に言って貰えて、本当に嬉しいです。でも、ごめんなさい」
傷つけてしまう事実に、ぎゅっと唇を噛みしめる。
「・・・そっか・・誰か、いいひといるの?」
穏やかな問いかけに、いいひと・・と口の中で呟く。
軽薄で意地悪で、だけど、優しい柿谷さんの顔が、脳裏に浮かんだ。
南野さん一色だった私の世界に、ずかずか無遠慮に踏み込んで、ごちゃ混ぜにして、綺麗に色を塗り替えてしまった人。
本気で腹が立ったし、本気で困惑したし、本気で悩んだ。
その全部が、生まれて初めての事だった。
一方通行で頭の中だけで繰り返してきた南野さんとのやり取りは、ただただ私に都合よく甘ったるいだけだったけれど、私を捕まえようとしてくる柿谷さんは、ちゃんと自分の意思がある大人の男の人で、だから、全部が私の理想の王子様なんかじゃ、全然ない。
だけど、彼が言う一言に傷ついたり、反省したり、反論したり、自分の気持ちがグラグラ揺さぶられるのは、誰かとちゃんと関わり合う事をずっと避けて生きて来た私にとって、何もかもが真新しい刺激に溢れていた。
脈があるとか、ない、とか関係なく、言わずには居られない、もしかしたら、と希望に賭けて出たくなる気持ちが、今なら分かる。
怖いけど、物凄く、死んじゃいそうな位。
「・・・す、好きな・・・人が・・います」
本人を目の前にして告白するわけでもないのに、自分の素直な気持ちを誰かに聞いて貰うだけで、こんなに声は震える。
心臓がバクバク鳴るのは、何かの悪い病気なんじゃないかと疑いたくなる。
私の言葉に、藤沢さんが驚いたような表情になった。
「仁科さんも、片思いしてるんだ」
「・・・そう・・ですね・・自分でもよく分かんなくて・・・困ってます。
だから、藤沢さんがこうやって気持ちをちゃんと伝えられるのは・・無神経だけど・・凄いなって・・・かっこいいなって思います。
気持ちに応えられなくて、本当に、ごめんなさい」
「・・・なんか、仁科さん最近雰囲気が柔らかくなったし、取っつきやすくなったから、彼氏出来たせいかなーと思ってたんだけど・・そっか、好きな人が出来たせいなんだ。
今の方が、前の仁科さんより、ずっといいよ。その人と、上手く行くといいね」
失恋したのは彼の方なのに、物凄く優しい笑顔を向けられて、私の方が泣きそうになってしまった。
これだから、恋は、困る。
自分を認めてくれる相手がいる事で、自信を持つことが出来るから。
私は、ほかの誰かじゃなくて、あの人だけに、名前で呼ばれたい。
「仁科さん、ごめん・・ちょっといいかな?」
これまでも何度か仕事でやり取りをしている、企画部の藤沢さんがクリアファイルを手に、いかにも仕事で、といった風情で声を掛けてきた。
勿論、きちんと笑顔で答えて”高嶺の花”らしく、返事をする。
その場で話を始めると思っていた藤沢さんは、周囲をチラッと見まわしてから、私に窺うような視線を向けて来た。
「ここじゃ、ちょっと・・・来てくれる?」
その一言で、ピンと来る。
食堂や廊下で会う度、マメに声を掛けて来るなぁ、とは思っていたけれど、”高嶺の花の仁科さん”として見られている事は分かっていたので、踏み込まれる事は無いなと思っていた。
黒歴史を脱却して、異性の視線を集めるようになってから、あ、告白されるな、というのは雰囲気で分かる。
廊下に出た藤沢さんが、フロアの外にある小会議室に向かうのを見ながら、それは確信に変わった。
もう、何十回と繰り返してきた言葉。
最初は自分なんかがお断りするのはおこがましいと思って、オロオロしていたけれど、今ではもう慣れたもんだ。
好感度は損なわないように、けれど、変な期待は持たせないように、きっぱり返事をする。
綺麗であろうと努力する自分を、きちんと見てくれている人がいることは、やっぱり嬉しいし、励みになる。
揶揄いの視線や嘲りの声を投げられる時期が長かった分、その反動は大きい。
子供時代の苦い記憶は、意外にもしぶとく心の中に重たいしこりを残すのだ。
”関取依子ー!!”
きゃっきゃと無邪気にはしゃぐ男の子の集団の声が、未だに耳の中でこだますることがあって、その度、うっさい見てろ!とその記憶をぐちゃぐちゃに塗りつぶす事にも随分慣れた。
今の私を見て、関取なんて言う馬鹿は一人もいないんだから。
「あの・・仁科さん、急に呼び出してごめん。
ここ最近、ずっと噂が気になってて、それで・・どうしても、確かめたくて・・
営業の柿谷と付き合ってるの?」
「・・・付き合ってはいません」
「そうなんだ!?周りのやつらが、みんなそう言ってたから・・・じゃあ、俺にもチャンスはあるかな?
前から綺麗な子だなと思ってたけど、一緒に仕事するようになって、それだけじゃなくて、内面も可愛い子なんだなって思って・・それからずっと気になってたんだ。
俺と、付き合ってください」
絶対受け入れられないと分かっているのに、真摯に気持ちをぶつけられるとやっぱりなけなしの良心はちくりとする。
しかも、面倒くさい恋心を自覚したばかりの私にとって、藤沢さんの勇気ある行動は、本当に称賛に価するものだった。
こんな風にぶつかっていく度胸も覚悟も、まだ、ない。
「・・・そんな風に言って貰えて、本当に嬉しいです。でも、ごめんなさい」
傷つけてしまう事実に、ぎゅっと唇を噛みしめる。
「・・・そっか・・誰か、いいひといるの?」
穏やかな問いかけに、いいひと・・と口の中で呟く。
軽薄で意地悪で、だけど、優しい柿谷さんの顔が、脳裏に浮かんだ。
南野さん一色だった私の世界に、ずかずか無遠慮に踏み込んで、ごちゃ混ぜにして、綺麗に色を塗り替えてしまった人。
本気で腹が立ったし、本気で困惑したし、本気で悩んだ。
その全部が、生まれて初めての事だった。
一方通行で頭の中だけで繰り返してきた南野さんとのやり取りは、ただただ私に都合よく甘ったるいだけだったけれど、私を捕まえようとしてくる柿谷さんは、ちゃんと自分の意思がある大人の男の人で、だから、全部が私の理想の王子様なんかじゃ、全然ない。
だけど、彼が言う一言に傷ついたり、反省したり、反論したり、自分の気持ちがグラグラ揺さぶられるのは、誰かとちゃんと関わり合う事をずっと避けて生きて来た私にとって、何もかもが真新しい刺激に溢れていた。
脈があるとか、ない、とか関係なく、言わずには居られない、もしかしたら、と希望に賭けて出たくなる気持ちが、今なら分かる。
怖いけど、物凄く、死んじゃいそうな位。
「・・・す、好きな・・・人が・・います」
本人を目の前にして告白するわけでもないのに、自分の素直な気持ちを誰かに聞いて貰うだけで、こんなに声は震える。
心臓がバクバク鳴るのは、何かの悪い病気なんじゃないかと疑いたくなる。
私の言葉に、藤沢さんが驚いたような表情になった。
「仁科さんも、片思いしてるんだ」
「・・・そう・・ですね・・自分でもよく分かんなくて・・・困ってます。
だから、藤沢さんがこうやって気持ちをちゃんと伝えられるのは・・無神経だけど・・凄いなって・・・かっこいいなって思います。
気持ちに応えられなくて、本当に、ごめんなさい」
「・・・なんか、仁科さん最近雰囲気が柔らかくなったし、取っつきやすくなったから、彼氏出来たせいかなーと思ってたんだけど・・そっか、好きな人が出来たせいなんだ。
今の方が、前の仁科さんより、ずっといいよ。その人と、上手く行くといいね」
失恋したのは彼の方なのに、物凄く優しい笑顔を向けられて、私の方が泣きそうになってしまった。
これだから、恋は、困る。