Adagio
■1

 細かな技が凝縮された完璧な美しさには、人を感動させる力がある。綿貫有紗はふわりとした短い髪を耳にかけ、こだわりと情熱がたくさん詰まった、小さな世界に暫し浸っていた。

「そちらのタルト・オ・ポティロンは季節限定ですが、いかがですか?」
 販売員からの誘惑に、有紗はショーケースからぱっと顔を上げた。

「えっと、今日は……」
 新商品を見かけて思わず足を止めてしまったが、今日は他の店で焼き菓子を買う予定だ。

ここで買う意思がないことを示そうとケースから一歩離れると、いつの間にかすぐ後ろに並んでいたらしい、スーツ姿の女性とぶつかった。

「ちょっと、なに」
「すみませんっ、ごめんなさい」

顔をしかめられて、真っ直ぐに向き合うこともできず、あさっての方向に頭を下げる。これで何も買わなかったら、この人にますます不快な想いをさせるだろう。

有紗は勧められたタルトを無駄にふたつ購入し、背中に圧し掛かってくる重い溜め息から一刻も早く逃れようとした。
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