モーニング・ステーション
宝石国のバスで迎える朝
うつらうつらとしながらも深い眠りにはたどり着けずに、ついに朝になってしまった。
眠れなかった原因なんてこの状況を見てしまえば
言うまでもない。
それをあえて言うのなら、
硬い椅子、ここにいる全員がボールにでもなったかの様な見事なバウンド、イビキの音、そして
嗅いだことのない独特の異臭(無理矢理にでも例えるならば、それは今まで嗅いだ異臭と言う異臭を詰め合わせて、汗だくの男に振りかけた、そんな男が隣に座っているようなそんな臭いだ)
まあとにかく、これが色々に含まれる成分だ。
ガタガタ縦揺れが激しいにもかかわらず
静まり返ったバスの中で、
そんな文章が頭の中で浮かんでしまった。
フッと鼻息だけの無音の笑いが漏れた。
まるで小説の主人公になったみたい。
ガタンと大きくバスが縦にバウンドして
乗客の頭も一緒に揺れる。
土汚れたバスの窓から見慣れない太陽を眺めた。
朝だ。
土埃にまみれた窓ガラスに私の顔が反射する。
「由紀はおとなしいからね」
そんな風に言われながら都会でぬくぬくと育った私とは到底思えない表情の私がいた。
家に帰ったらきっと皆びっくりするんだろうな。
そう思うくらい、日本にいた時の私とガラスに反射した私の表情は別人に見えて笑えてくる。
今日は皆んな何してるかな。そろそろ会議の時間かな。忙しい日常を抜け出して、飛び乗るように決めたフライト。
中国経由カンボジア行き、朝8:30離陸。
それも、昨日の話で、
今はなんとカンボジアで佐賀ドライビングスクールと書かれた片道17リエルのバスに乗っている。
私は5年前に私の元にたどり着いたポストカードを取り出した。普通なら最初にアンコールワットに向かうんだろう。
だけど、
どうしても今、
君が見たというこの景色を見たくなってしまった。
この環境で4時間と少し、17リエルと言われても、安いか高いかなんてピンとこない。
けれど心のままに決めた旅には相応しい環境なのかも。そんな冒険心を胸の片隅に抱えて私はこのバスに揺られている。
あと2時間、土臭そうな道を行く景色にもそろそろ飽きてきた私は度々のバウンドにも慣れてしまい、
うつらうつらと眠りの世界へと入っていった。
「wake up!!!ユキ!ツクヨ!」
隣で寝ていたはずのシーナの声で目が覚めた。
外は完全に明るくなっていた。
「ありがとうシーナ」
中国を経由した時に機内で隣になったジャパニーズアメリカンのシーナと何故か一緒に行動することになった。
「アナタニホンジン?」
飛行機の中で日本から持ってきたガイドブックを開いているとシーナから話しかけてくれた。
聞けばアメリカの大学生で今はバックパッカーをしているらしい。
「へぇ!お父さんが日本人なんだ!」
「ソウダヨ」
英語混じりの日本語で聞くに、シーナはずっとアメリカで育って初めて日本に行ったらしい。
一見私と同じ日本人の容姿をした彼女が英語混じりの日本語で話す様子に、なんとも複雑な思いがした。
私の英語のレベルと同じくらい日本語が分かるシーナにホテルまでお世話になって、今に至っている。
シーナは慣れた様子でホテルを見つけて私の分まで値切りの交渉をしてくれた。
荷物の整理が一段落した時、シーナがやってきた。
「ドコイク?Ah...tomorrow 」
「明日?えっと、なんだっけ…テンプル!
天空の寺院」
「アンコールワット?」
「NO .NO、違うテンプル!ここ!」
ガイドブックの後ろのほうに載っているページを見せた。
まぁそんなこんなで、シーナとこのバスでここまでやってきた。
目的地までの道を歩くと不思議な感覚を覚えた。
バスまでは同じとは言えないだろうが、
ここからはきっと、
彼がここに来た時と同じ景色が広がっているんだろう。
中央祠堂と呼ばれる場所から回廊を抜けて裏手に出ると、視界の開けた断崖絶壁の山頂に出た。
その景色を見た途端、言葉を失った。
岩盤の上に足を踏み入れた。
この足下の低い位置で揺れているロープのみが
この先の断崖絶壁への注意を促している。
ロープの先に足をうっかり滑らせると625m先へ
真っ逆さまだ。
写真では伝わらなかった高さで周りを見渡す余裕もない。
私の先にいるシーナが英語で何か言っているけれど、もう彼女が何を言ってるのかも分からない。
このためにここまで来たんだよ。
そう自分に言い聞かせ、顔を上げた時。
風が強く吹いた。
そう!ここだ!ここが、
ポストカードをくれた
彼がいた場所。