モーニング・ステーション
きいろい海の底
私はこれから
どれだけの人とすれ違い
どれだけの人と知り合って、
どれだけの人と喧嘩して、
どれだけの人と分かり合えるんだろう。
ホームの人混みの中、サラリーマンの群れと対面した時、私はふと思った。
出会う人数が少ないか多いかなんて、本当はどうでもいい。ただ1人。この世界でただ1人だけ本当に分かり合える人さえぬいたら。それでいいのに。
だけど、私は誰に対しても素直になれずにいた。
この心の奥が締め付けられるような感覚は何かに似ている。ああそうか、あれだ。心地よい揺れに身体を任せながら心の中で呟いた。
真空パックだ。
私は心をどこか奥底にしまい込んでしまった。
昨夜、衣替えのために服を真空パックに入れた。昨日1人アパートで圧縮袋と格闘しながら、涙が目尻をつたったのはそのせいだった。
この静かな満員電車では尚更、そうすることが義務であるかのような気がした。
そんな思考を遮るような急ブレーキで電車は止まり、私は満員電車から駅に放流された。電車の中から駅のホームそして改札へ続くイワシの群れに加わって私もその流れに乗って歩いて行く。
改札を出て人の流れから解放された時、ぽわんとコーヒーの香りがどこからともなく漂ってきた。
コーヒーの匂いは不思議と頭の中に幸せな気持ちを植え付けていく。
ふと上を見上げると匂いの主は煉瓦造りのレトロな雑居ビルだった。見たところ五階建てらしい。窓が四つ縦に連なっている。その中の一つ上から二つの目の窓から猫が顔を出した。
私はコーヒーの香りにつられて地下の喫茶店へと続く階段に足を踏み入れた。
ちりりんと高く鳴る音に「いらっしゃいませ」と黒い可愛らしいワンピースに白いエプロンをした店員が滑舌の良い声で言った。
「遠いところまで、よくいらっしゃいました」
唐突な質問に唖然としていると、店員は何事もなかったように微笑むと「テーブルにご案内いたします」と言った。
テーブルにつくと、
赤と茶色の純喫茶という言葉が板につく内装にも関わらず、常連のお年寄りは誰一人いなかった。
「こちらが本日のモーニングでございます」
「じゃあそれでお願いします」
「かしこまりました」
深々と頭を下げて立ち去る彼女からは魚の匂いがした。
朝から魚の定食を食べたんだろう。朝から魚を食べるなんて、なんて余裕のある朝を過ごしているんだろうと彼女を少し羨ましく感じてしまう。
タンタラランランタンタンタンタンタン!
大音量のアラームが私の鞄の奥底から鳴り響いて、慌てて立ち上がり鞄の中を探り出した。
タンタラランランタンタンタンタンタン!
絶えず聞こえるアラームに腹立たしさを感じて、画面を見ずに消音モードに切り替えた。
尚も震えるスマホを後ろ髪を引かれつつ電話先の真面目な人の顔を想像しながらも、スマホを鞄の底にそっと置いてハンカチをかぶせた。