大事にされたいのは君
そっと時計に目をやると、時刻はもう18時を大分過ぎていた。もうどうにでもなれといった投げやりな気持ちが落ち着くと、途端に現実へと目が向いてしまう。今何時だろうと無意識に確認する余裕が私に生まれた証拠だった。

もし兄が定時で帰ってくるならば、そろそろ家に着く頃だ。なんせうちから兄の職場までは30分程の距離だ。電車で一駅、徒歩圏内でもある。そろそろ帰らないと、夕飯の支度も洗濯の取込みも終わっていない。お風呂だってまだ入れていない。…さっきまでの自分はもう帰るつもりも無いくらいの勢いだったのになぁ…

「…ありがとう瀬良君。私帰るよ」

席を立ち、玄関へと向かう私に瀬良君はついて来た。それを見送ってくれる為だなと思っていたら、どうやら違うらしい。

「一人で帰れるからいいよ」

玄関の鍵を閉め、エレベーターに乗り、マンションのホールを通り過ぎ、オートロックの扉を抜けた所で気がついた。この人は私を家まで送るつもりなのだと。「本当にいいから」と、私は真剣に頼み込む。

「いや、もう暗いし」

「だから家に居なよ。これくらい大丈夫だよ」

「でも吉岡さん自分ちまでの道分かんないよね?暗いから余計に」

「……」

確かにそうだった。ここは私の家から見えるというだけで、近くまで来た事は一度も無い。ここまでの道のりがさっぱり分からない。

私の顔を見た瀬良君は、じゃあ決まりと言わんばかりの笑顔で歩き出して、私も申し訳無く思いながらそれに続いた。迷う事無く突き進む瀬良君は、どうやらここら辺の道には詳しいらしい。

「一応ここで生まれ育ってんからさー。高校も家から近いからあそこに決めたし」

「そうなんだ…ずっとあのマンションに住んでるんだ…」
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