きみの左手薬指に 〜きみの夫になってあげます〜
Book 9
「そして誰も言わなくなった」
「……自分が勤務する職場で『客』と『特別な関係』にあるなんて、自分を査定・評価する立場である『上司』のあなたに、櫻子が言えるわけがないでしょう?」
シンちゃんはがらりと表情を変えて、原さんの方へ冷ややかな目を向けた。
それは、男の人には背筋が凍りつくほどのブリザードぶりなのだが、わたしたち女子にとっては、ぞくぞくするほどのセクシーぶりだった。
真生ちゃんもそんなシンちゃんを目の当たりにして、頬をピンク色に染めていた。
「それから、まさかとは思いますが。
……ここのところの、櫻子の周囲で起こってる不穏な動きって、あなたが関わってることじゃないですよね?」
原さんが、明らかにびくりっ、となった。
あまりにもベタな反応に、さすがのわたしですら「これは、怪しい」と思わずにはいられない。
「なっ、なんなんですかっ?いきなり失礼なっ!
いったい、あなたは、だれなんですか?
井筒さんを呼び捨てにするなんて、馴れ馴れしいにもほどがある……」
シンちゃんの静かなる激昂に、完全に圧倒されているくせに、原さんが性懲りもなく抗う。
「櫻子の夫ですよ。彼女はもうすでに僕の妻なのでね。心配だから、仕事の合間に様子を見に来たんですよ。営業職ですから、融通が利くんです。
だからもちろん、妻のことは呼び捨てにもするし、彼女の身に不穏なことがあれば排除します。
僕には当然、その権利がありますから。あなたも余計な手出しはご遠慮願いたい」
その冷静で慇懃無礼な物言いが、却ってシンちゃんの怒りの深さをあらわしているように思われた。
つまり……ものすごく怖ろしい、ということだ。