王子様とブーランジェール
『あ、あ、あ、あの…』
壁に寄りかかって床に座っている夏輝に、恐る恐る近づく。
大丈夫になってきたとはいえ、改まって面と向かうのは、まだ緊張するワケで…。
『な、な、な、なつき…』
しかし、反応はなく。
うつむき加減のまま、ぴくりとも動かない。
あれ…。
もう一歩近付いても反応はなく、不思議に思って更にもう一歩近付く。
すーすーと寝息が聞こえた。
え…寝てる。
真っ暗とはいえ、こんなにうるさいのに、よく寝れるね。
なんだ…。
すぐに起きるかな。
そう思って、顔を覗き込む。
うつむき加減の顔は、やはり目を閉じていて、無防備だ。
睫毛が長くて、綺麗な顔をしている。
今日は白シャツにネクタイしてるんだ。
昨日の紺ポロシャツは似合ってたな。
逞しい肩や腕の筋肉が目立ってて…って、やだ。私、変態みたい。
その時、ふわっと香りが鼻をかすめる。
甘いけど、爽やかな香りだ。
香水の匂いかな。
…夏輝、香水つけるんだ。
それとも、柔軟剤?
何の香りだろ。ホワイトムスクっぽい。
良い香り…。
甘い香りに誘われたように、ちょこんと隣に座る。
まるで、カブトムシのように。
隣に並んで座ってみる。
とたんにドキドキと胸を高鳴らせてしまう。
やだ私。こんな隣に座って図々しい…。
でも、観客である生徒はみんなステージの方に注目している。
こんなところで、私が夏輝の隣に並んで座ってるなんて、誰も気付かないだろうな。
今、夏輝の隣にいるのは…私。
こんなに近くに座ったことなんてない。
…あ、近すぎたかな。
ちょっと拳ひとつぶんくらい離れてみる。
だけど、離れてしまうと良い香りが鼻にかからなくなってしまった。
やっぱり、もう一回近付いてみる。
良い香りが復活した。
(………)
…彼の隣にいれば、この香りに包まれていられるんだ。
今までのお姫様たちは、みんなこの香りを嗅いでいたんだ。
そう思うと切ない気持ちになってしまう。
(隣に、いたいな…)
いやいや。今、図々しくも座ってるでしょ。
寝込みを襲うかのように、図々しく。
…いやいや。そうじゃなくてね。
彼と…夏輝とこうして一緒にいたいな。
やっぱり、下僕扱いされていても。
彼の『優しさ』が、笑顔が胸の奥底に残ってるから。
まだ、大好きなの…。
今までの育ってしまったこの想いは、もうどこにも行けない。
まだ、少し。
もう少し。
好きでいる…。