王子様とブーランジェール
『…ひっ!』
そんなことを考えていると、不意に襟元を掴まれ引っ張られる。
もう一人に背中をおもいっきり押され、床に転がされ這いつくばった状態となった。
何が起こったのかわからず、衝撃で受けた痛みが落ち着いてから顔を恐る恐る上げる。
しかし、目の前には靴の裏があった。
『いぃっ!…ぎゃああぁぁっ!』
味わったことのない強烈な痛みに、腹の底から悲鳴が出た。
『あーごめん?踏んじゃった?』
痛みに悶える中、うっすらと開いた目で確認したのは。
私の左手を靴の裏でグリグリと踏み潰す、女子の右足だった。
まるで捨てた吸殻を踏み潰すかのように。
(何で…?)
『あははっ。あんた、パン作ってんだってねー?ごめんねー?指踏んじゃって?』
『えー?パン作らないでストーカーばかりしてんじゃなぁーい?』
『だから、こんなことになるんだよー?彼女気取りの悪者ー?』
クスクスと嘲笑う声が耳に入る。
『竜堂くんの彼女気取りとか、図々しい。百万年早いんだって』
(………)
《図々しい!…おまえが夏輝くんと付き合うとか、100万年早いんだって!》
閉じ込めておいた記憶が、あの箱の隙間から漏れる。
あの、真っ黒なもやもやと共に。
《夏輝くんのこと好きになっちゃって…カノジョになりたいとか、思っちゃってた?》
あの時の記憶が、頭の中でぐるぐるする。
《バカじゃないの?…桃李ちゃんみたいな、天パ眼鏡のブス地味ダサ子、王子様の夏輝くんが好きになるワケないじゃない!》
やめ、やめて…。
《自分の姿、ちゃんと鏡で見ろって!》
頭の中で記憶がぐるぐるする度に、黒いもやもやに取り囲まれているような気がして。
また、あの時と同じ…。
《そんなんで夏輝くんの気を引こうとして…所詮、ただの下僕だろ!おまえは!》
やめて…。
《バカあんた?!私が夏輝くんと付き合ってたからって、僻まないでよ!》
やめて…!
《うるさいぃぃっ!消えろおぉぉぉっ!おまえなんか嫌いだ!…嫌いだぁぁっ!》
また、あの時みたいになりたくない!…私が。
踏まれ続ける指の痛みと、箱に閉じ込めておいたあの時の痛みに悶えて、悶える。
意識を逸らそうと頭を振ると、最近の記憶が頭をスッと過った。
夏輝が私に向けてくれた笑顔と…言葉。
《頑張れ》
開きかけていた黒い箱は、パタンと閉じた。