薔薇の嘘
びーっ、ぴろんぴろんぴろん
プシュー
電車が動き出した。
捕まる手すりもなく、人に押されながら揺ら
れる。目の前には扉がある。扉に片手をついた。
「次は〜…駅」
どうしてこうも人は、何かに詰め込まれるのが好きなんだろう。
狭いオフィス、狭い車両、狭い道路、
短い人生。
窮屈だ。
電車は揺れる。
ギーという音が響く。
子供の頃は、電車の窓を覗くのが好きだったなぁ。田舎だったから、川とか山とか湖とか、自然をいっぱい見られたんだ。
でも今見えるのは、くらいトンネルだ。
そして、その中に映る、人に揉まれる自分。
音楽を聴く余裕もない。
本を読む隙間もない。
ただ揺れに耐えて、両手を上に上げているだけの時間。
明日もこの電車に乗って、半日働いて、
夜遅くに帰って…
あれ、僕は今までどうやって休んでいたんだろう。扉についていた拳を握りしめた。
車両が揺れ、ドン、と後ろでぶつかる音がした。
「あ、すみません」
まばらな話し声に紛れ、低い声がした。
若く聞こえるが、よく響く声だなぁと思った。
こういう時、自分のフェチというものがわかるのだろう。でも、男相手にフェチとかあったらやばくないか…
まあ、バンドのボーカルに好みがあるのと似たようなもんだろう。
「お…おい、わざとぶつかっただろ」
もう一つの声が聞こえた。こっちはおじさんだ。がさついていて、風邪でも引いているらしい。
「いえ、そんなつもりは全く」
「ふざけるなよ!」
おじさんの方が騒ぎ始めた。
何だ?喧嘩でも始めるつもりか?
やめてくれよ、こんな狭い所で…
背を向けているから何が起こっているかわからないが、窓に反射している二人の頭が少し見える。僕のすぐ後ろにいた。
「まぁまぁ、お互い様じゃないですか」
低い声の若い男が言った。
やっぱり良い声だ。
そして、その男の顔だけは窓に映っていて、はっきりと見ることができた。
周りより頭が一つ出ている高身長だ。
そして顔面も整っていた。
モデルだろう。と勝手に納得した。
「お互い様だと?俺が何かしたか!」
おっさんの声が大きくなるにつれ、周りの目も二人に集中してきた。
最初は好奇心むき出しでチラ見していたのが、今は皆、モデルを目当てに見ている。
一応雑誌の製作に関わっているのでモデルには詳しいはずなのだが、この人は見覚えがなかった。
「…いえ、今のところは」
しかし、やけに落ち着き払っている様子から、一般人とも到底思えなかった。髪型の整い方や服装からすると、やはり、モデルだ。
「今のところは、ってどういう意味だよ!」
「…言っちゃって良いんですか?」
モデルの方は意味深な含み笑いをした。
「な、何の話だよ」
「今、痴漢しようとしてましたよね」
「なっ…!」
ザワザワと乗客達が騒ぎ始めた。