絵本王子と年上の私
プロローグ~1話「秋の道」


   プロローグ

 街を歩くと、季節の変わりを感じるようになっていた。
 空気は澄んで空は高く、どこからか金木犀の心を安らかにしてくれる香りも鼻に届いてくる。最近あまり目にしなくなった赤蜻蛉を見ると、昔のあそびを思い出すし、何故かこの季節はしんみりとしてしまう。そんな事を考えながら、しずくは仕事帰りのいつもの道を歩いていた。

 思えばこの道を通る時は、いつもいろいろな気持ちになっており、もしこの道に植えてある並木達がずっと見ていたら「この女はいつも違う表情を見せている面白い奴だ。」と思っているだろう。
 仕事に使う道のため、遅刻して焦って走ったり、疲れてヘトヘトになったり、凹んでしまって落ち込んでいたり。それだけでも、毎日感情が違うのは当たり前だ。

 それにプラスして、この道には大切な思い出も増えているのだ。
 それは羽衣石白(ういし はく)との出会いのせいだった。それまで全く恋愛に縁も興味もなく、同じような生活をずっと繰り返していたしずく。だが、白が目の前にスターチスの1輪の花を持って現れてから、生活とこの道を歩く時の気持ちに変化が表れた。
 それは良いことばかりではなかった。
 初めは突然自分に告白をして、それから毎日帰り道に現れる10歳も年下の彼に戸惑い、どうやってやり過ごすか、逃げるかを考えていた。自分がこんなにも好意を持たれるような人ではないとわかっていたからこそ、彼の気持ちやそのための行動が信じられなかったのだ。
 けれど、それもそれが変わっていくのに、そんなに時間はかからなかった。
 白は優しかったし、何より話をするのも聞くのも上手だった。しずくの趣味と、彼の趣味が合ったのもしずくの守りの壁を少しずつ壊していける要因の一つだったかもしれない。
 けれども、彼の毎日笑顔で、待たされても嫌な顔をせずに「しずくさん、お疲れ様です!」と会えたことを嬉しそうにしてくれる彼に、しすぐはどんどん会うことを楽しみにするようになった。
 デートまでするようになり、彼との仲は一気に進むかとも思われた。けれども、しずくが白の事を気になっているとわかったのは、皮肉にも彼に会えなくなったからだった。
 夜道を彼に会うために必死で走ったり、毎日彼に会えなくて泣きそうになりながら帰った、大切な道。

 思い出すだけでも、辛くなることも正直ある。
けれどもそれでも彼と出会え、今では「辛いことも大切な思い出」と思えるぐらいになったのだ。
 しずくは、幸せを噛み締めながら木々も空も赤くなり秋に染まったこの道を笑顔で歩いていた。





   1話「秋の道」

 「しずくさん!」
 しすぐが思い出に浸りながら歩いていると、いつもの公園に一人の背が高くすらりとした青年が立っていた。顔だけ見るとどこかの中学生か高校生に見えるが、その彼が制服を着ている事はなかった。
 今日は長袖のチェックのシャツに、細身の黒いズボンを履いていた。手には待っている間読んでいたと思われる、単行本だけを持っていた。しずくを見つけると、すぐに本を閉じてその本を掲げてブンブンと音が鳴りそうなぐらいに手を振っている。
 しずくは、「犬が喜んでる時の尻尾みたいだなぁー。」と思いながら、彼が喜んでいる姿を見て、恥ずかしそうに微笑んだ。
 いつも通り大きな荷物を持ちながら小走りで彼の方へ向かうと、白も急いでこちらに来てくれる。
 「急がなくていいですよ。しずくさん、荷物いっぱいなんですから。」
 そう言いながら、白は何も言わずに、しずくが持っていた荷物をすぐに持ってくれる。出会ったばかりの時は、自分の仕事着やエプロンが入ったバックを持たれるのは恥ずかしく、いつも遠慮していた。だが、白はそんな事は全く気にせずに会うたびに「持ちます。というか、持たせてください。」と言ってくるので、しずくはその言葉に甘える事にしていた。
 「白くん、ありがとう。」
 「いえいえ。あ、しずくさん。」
 「え?どうしたの?」
 何かを思い出したかのように、あっという表情をして白は名前を呼んだ。しずくは、その言葉の先が、気になり彼の顔をまじまじと見つめる。
 すると、彼の顔がふにゃりと笑い、とても嬉しそうに笑っている。その顔は、やはり飼い主が帰ってきてくれて嬉しそうにする犬のように純粋で気持ちが溢れ出ている。
 「おかえりなさい。、、、大好きです。」
 「ぇ、、、?!」
 挨拶と一緒にするのはおかしな言葉が耳に入り、頭を巡り意味を理解する頃には、しずくの顔は真っ赤に染まっていた。
 白は、しずくと付き合うようになってから会うたびにいつも恋人同士が囁き合うような甘い言葉を、さらりと言うようになっていた。付き合う前から、そのような事はたくさんあった。それはしずくも理解していたし、恥ずかしいけれども実は嬉しかったりもしていた。
 けれども、恋人同士担った途端にその頻度は格段に増え、そして濃度が高くなっていったのだ。恋人だから、とも思うがそれに慣れていないしずくにとって、それはとても刺激の強いもので。
 
 顔が赤くなっているのを隠すために下を向き、おどおどしているうちに、白はしずくの空いている方の手を取り、優しく包むように手を繋いでいた。
 「週末だから荷物が多いと思って車で来てるんです。」
 「…挨拶とあれは一緒にしなくてもいいと思う。」
 「え、何の事ですか?」
 「…………それは、その、、、。」
 白は全くわからないのか、それともわかっていて恥ずかしそうにしている自分を見て楽しそうにしているのか。たぶん、後者のような気もするが純粋な犬のような瞳で、じっとしずくの言葉を待っている。
 それを見ると、「もういい!」とも言えなくなってしまう。
 「好きって言うの。挨拶じゃない、、、と思う。」
 「でも、しずくさんに会うと言いたくなるんです。会えるだけでも嬉しすぎて。ずっと長い間言いたくて我慢してたので、次はしずくさんが我慢してください。」
 へりくつだと思われる言葉だが、実際白は長い間しずくに片想いをしていた。
 それをしずくは気づきもしなく、そして彼との出会いを忘れてしまっていたのだ。
 彼との大切な記憶を思い出したのも彼がくれた大切な物のおかげ。彼が今も昔も自分を思って行動してくれたからこそ、今の恋人という関係があるのだと、しずくもわかっていた。
 だからこそ、しずくも伝えたいのだ。

 「私も好きだって言いたい。」
 そう大きな彼の方を照れながら見上げると、白は驚き、そしてバックを肩に掛けている手で目と前髪をくしゃりと押さえながら、「反則です、、。」と、しずくに聞こえない言葉を漏らして、なにかを我慢しているようだった。
 だが、我慢できなかったのか、彼が少し頬を染めた顔をしずくに近づけ、それに気づいた頃にはしずくの耳元に白が囁く声と息がかかった。
 「それ、車で二人きりになってから、もう1回聞きたい、です。」
 彼の熱を帯びたその声を聞いたしずくと、車へと急ぐ気持ちを抑えながら足早に歩く白の二人は、顔を染めたまましずかにいつもの道を歩いた。
 落ち葉を踏む音が、サクサクと大きく、そして早くやっていった。
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