絵本王子と年上の私
「知っているかもしれないが、今年の大学祭で僕のサイン会とかが行われることになってね。それで、整理券を配布してみたから、予想以上の枚数が出てしまったんだよー。」
大変とは言いつつ、にやにやと嬉しそうに話すキノシタを白は真顔で見つつ、心の中ではため息をついた。
突然シノシタから連絡が会ったときは、驚いた。久しぶりの恩師からの電話だ。恐縮してしまい、何かあったのかと内心ヒヤヒヤしていた。
だが、「助けてくれ!」という言葉が耳に入ってからは、白も冷静になった。この人は、やはり子どもなのだと、再認識したのだ。
「わかりました。」
そう白が静かに言うと、餌を見せられた子犬のように、瞳をキラキラさせて喜びをあらわにしていた。だが、その言葉はそれだけではなかった。
「キノシタ先生が、また計画性もなく無理な仕事をうけて、またいっぱいいっぱいになってるんですね。」
「う、、、。」
「ちなみにサイン会の始めの人数の予定は?」
「100人です。」
隣に座っていた心花が、わざとらしく大きな声で返事をする。
目の前に座っているキノシタの目が少しずつ泳ぎはじめている。それを気にせず、白は質問を続けたら。
「今の人数は?」
「180人です。」
またしても、心花が返事をする。それを聞いて、白はじっとキノシタを見つめる。
だが、紙のビルに隠れるように少しずつ身を縮めていたので、すでに白からは彼の頭しか見えなくなっていた。
その様子を見て、白は大きくため息をついた。
そして少し考えた後、目の前の彼に丁寧に伝えるように話し掛けた。そうでもしないと、いじけてしまうのを白はわかっていた。
「その人数なら大丈夫でしょう。キノシタ先生には前もってサインしてもらって、名前だけ当日書いてもらうようにしましょう。」
「なるほどー!さすが白先輩、頭いいー!」
「あと出版者との打ち合わせの資料とかは、また明日見せてもらいます。それから、もう人数は増やさないでください。時間オーバーする可能性が高くなりますので。」
「、、、準備しておこう。それと人数も増やさないと約束する。」
「お願いします。では、今日は帰りますね。」
「え!?もう、帰るのか!?」「えー!帰っちゃうの~?」
白の言葉を聞いて、キノシタと心花が悲鳴のような声を同時に上げた。だが、白はお構いなしにソファから立ち上がり、こぼれないうちにコーヒーを飲み干して、向かえに座りビクビクしているキノシタの方を向いた。
「キノシタ先生は明日までにサインを100冊書いてください。」
「えぇ!!手伝ってくれないのか?」
「キノシタ先生のサイン会なんですから、僕は手伝えません。それに、あんな難しいのは無理です。」
そうキッパリと切り捨てた言葉を返すと「そんなー!」と、泣きそうな顔をする30代後半の男を見ると、白はまたため息をつきそうになる。
キノシタのサインはとても凝っており、名前の他にも可愛い動物のような生き物も描かれているのだ。そのため、100冊でも大分時間がかかるだろうと、白は予想していた。
「心花。大学祭のパンフレットはあるか?」
「ありますよー!何部ですか?」
白と一緒に帰ろうとしていたのか、荷物をまとめていた心花はその手を止めて、部屋の端に置いてあった段ボールからパルフレットを2部取り出して、白に渡す。「ありがとう。」と笑顔で白に言われると、心花は頬を少し赤くしながら嬉しそうに笑った。
「あぁ、それとあのテーブルの上のプリントと本も明日までに片付けておいてください。」
「え!?」
「サイン100冊とテーブルの片付け。明日僕が夕方来るまでに終わってなかったら、お手伝いはキャンセルします。」
「えぇー!!せんぱーーーい、、、!」
半泣きにならながら抗議しようとする心花に軽く手を振り、片付けから逃げようとサインを再開するべくペンを持つキノシタ先生に「失礼しました。」と挨拶をしてから、白は研究室を出た。
手には、ポップなデザインで彩笑祭と書かれた表紙のパンフレットが2つ。
白は、それを歩きながら眺めつつ、大学祭の準備で賑やかな場所から逃げるように裏門へと足を早めた。
「しずくさん、喜んでくれるかな。」
明日の仕事帰りにこのパンフレットを渡そうと決めてしまうと、それが今からとても楽しみになる。
きっと、彼女は可愛い笑顔でとびきり喜んでくれるのだろう。
それを想像するだけで、白は口元がニヤついてしまう。
厄介な仕事ではあるが、恩師と後輩の頼みとあれば断ることはできない。けれど、仕事になるとどうも厳しくなってしまうのには、白自身も気づいていたが、それも仕方がないことだろうと思っていた。
自分も好きなキノシタイチのファンに喜んでもらうために、頑張ろうと決めたのだ。
そして、その後の大好きな人のデートを満喫するためにも。
白は、しずくに連絡をするためスマホを開いた。