次期社長と訳あり偽装恋愛
秋が深まり朝晩と冷え込むようになってきた十一月のある日。
「河野梨音さん、ですね」
会議室の片付けを終え、企画部のフロアに向かって歩いていたら秘書課の亀井さんに声をかけられた。
亀井さんは社長秘書だ。
その社長秘書が私に何の用だろう。
困惑の表情を浮かべている私をよそに、亀井さんは口を開く。
「突然すみません。ちょっとよろしいですか?」
「あ、はい」
休憩スペースに行くように促され、亀井さんの後を着いて行くとそこには誰もいなかった。
「単刀直入に言います。社長があなたとお話ししたいと仰っているので、十分後に社長室にお越しください」
「あの、社長がどうして……」
亀井さんは私を一瞥した。
「社長の息子は誰なのか、どうしてあなたが社長に呼ばれることになったのか考えれば分かることだと思います。ただ、このことは他言無用でお願いします。それでは失礼します」
小さくお辞儀をして亀井さんは私に背を向けた。
社長の息子というのは立花さんのことだ。
呼ばれた理由は、私が立花さんと付き合っていること以外にはない。
さっきの亀井さんの私を見る目からして、歓迎はされていない。
次期社長の立花さんと私とでは、つり合いなんて取れないのは分かっていたはずだ。
嫌な汗が背中を伝う。
このまま逃げてしまいたいけど、そんなことは出来る訳がない。
私は重い足取りで最上階にある社長室を目指した。