片翼の蝶
涙がポロリと、零れた。
ノートを濡らさないように慌てて涙を拭う。
ペンを離して顔を上げると、真紀の顔があった。
真紀もやっぱり、泣いていた。
終わった。
真紀の最期の交換日記が、やっと終わった。
真紀は私が書いた文字を愛おしそうに眺めると、
うんと一つ頷いて、涙を拭った。
〈ありがとう、茜。本当に、本当に〉
「うん。しっかり書いたよ。真紀の気持ち。
きっと、伝わると思う」
私もうんと頷いて、真紀を見つめた。
真紀の目にはもう涙はなかった。
しばらくその文字をじっと眺めていた真紀だったけれど、
満足したのか一度目を閉じて深く深呼吸すると、
そっと「いいよ」と言った。
私は交換日記を机の中に静かに置いた。
そしてゆっくりと立ち上がる。
真紀はすぅっと身を引くと、
言いにくそうに手の前で指を交差させた。
〈あの、茜―〉
「分かってる。最後に一度だけ、見に来てあげる。
吾妻くんの返事」
〈ありがとう〉
真紀は静かに笑ってそう言い、そしてパチンと消えた。
残された私は、再び交換日記に手をかける。
中身をパラパラと捲って文字に指を這わせる。
もう一度真紀の最期の日記を読んで、
また机の中にしまい、廊下に出た。
茜色の陽が射し込む。
パタパタとスリッパを鳴らしながら歩くと、
ふと中庭にあるベンチに人影を見つけた。
ここからでもよく分かる。
私はその姿をしばらく見つめて、帰ることにした。
警備員さんに言って名札を預けると、
来客用の玄関から出る。
相変わらずの立派な門を潜って外に出た。
外に出るとやっぱり暑い。
すぐに噴き出る汗を拭いながら来た道を戻る。
私はふと、後ろをゆっくりとついてくる珀が気になって、
足を止めた。
「あのさ、珀」
〈…………〉
「さっきはごめん。助けてくれて、ありがとう」
俯いて小さく呟く。
返事はなかった。
代わりにスタスタと足音が聞こえる。
私は顔を上げてその背中を見つめた。
すると珀は立ち止まり、少しだけ振り返った。
〈早くしないと、親に怒られるぞ〉
にいっと、唇に大きく弧を描く。
その姿を見て私も笑った。
珀の隣に駆け寄って、二人並んで道を歩く。
時折手と手がぶつかりそうになっては、すぅっと透ける。
その感覚は気持ち悪いと感じることはなく、
なんだかもどかしく感じた。
気になって珀の顔を見つめるも、
珀は真っ直ぐの方向を見ていて気付かなかった。
家に帰った私は、疲れたのか、
小説を書かずにすぐに眠ってしまった。