片翼の蝶



私が言うと、
珀は一瞬口を開閉させて固まった。


けれどすぐに顔を綻ばせて、
少年のように屈託のない笑顔を見せた。


この笑顔を見るのは久しぶり。


なんだかこの反応がとても嬉しかった。


〈そうか、そうか!ありがとう!〉


「ただし、体を貸している間は
 大志が付き添っているからね。
 何か悪いことをしたらすぐにバレるから。
 あと、ちゃんと体を返すこと。
 何をするのか知らないけど、
 ちゃんと何か用事が終わったら返してね。いい?」


〈ああ!約束する〉


やった!と全身で喜びを表現する珀を見て、
少しだけ頬が熱くなった。


もっとこの顔を見ていたいと思った。


だって、私がこの笑顔を見たのは
これだけ一緒にいて二回目。


とてもレアなんだもの。


私はリビングに入ってご飯を食べた。


いつものようにお父さんとお母さんと一緒に食卓を囲む。


テレビにぶつぶつ文句を言っているお父さんと、
それを横目にお父さんに文句を言うお母さん。


もし、仮に戻ってこれなかったとしたら、
これが最後になってしまう。


せっかく仲良くなってきたのに、
これで終わりになってしまうなんて少し悲しい。


やっぱり怖いな。貸したくないな。
ここにいると決心が鈍りそう。


私はご飯を急いで食べて、
今日はいつもより早めに家を出た。




駅まで急いで、電車に乗る。


今日は隣町まで向かう。


今日はいつもと違って電車も怖くなかった。


怖いのは、体を貸すこと。


それ以上に怖いことなんてきっとない。


そう思うと電車なんかへっちゃらで、
窓の外を睨みつけていた。


電車が着いて、私は波に飲まれながら改札を出た。


出たところで大志が待っていた。


長い髪を一つに束ねて、
今日は作務衣姿じゃなく、
普通の私服を着ている。


私を見つけるとゆっくりと近づいてきて、
視線を彷徨わせた。


「どっかに珀がいるのか?」


「うん。ここに」


私が珀を指さすと、
大志はじぃっと食い入るように見つめるけれど、
視線は合っていない。


珀はにやりと笑うと大志の名前を呼んだ。


「ふうん。で、今から乗り移りってやつをすると、
 高杉が珀になるのか」


「そうみたい。私がどうなるかは分からないけど」


「怖い?」


「怖いよ」


大志はふふっと小さく微笑むと、
私の頭に手を置いた。


くしゃくしゃと頭を撫でられる。


怯える私に、大志は耳元で囁くように言った。


「珀を信じろ。大丈夫。必ず戻ってこられる」


「う、うん」


私たちは人気のないところに移動して、深呼吸した。


目を閉じて、それから息を吸い込む。


「珀、いいよ」


〈ああ。じゃあ、今からやるぞ〉


「うん」


目を開けて、珀を見た。


珀は真剣な顔つきで、私に近付いてくる。


そして心臓の辺りにその白い指を翳すと、
きゅっと心臓を鷲づかみにした!





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