片翼の蝶
大志のアパートを出て少し振り返ると、
まだアパートの前で大志が見送っていた。
私はカバンを抱えてスキップした。
早く大志の小説を読みたい。
あの手紙を読んで、大志は
どんなお話を思いついたんだろう。
それが気になって仕方なかった。
〈随分嬉しそうだな。
そんなに大志が気に入ったか?〉
「なっ、何を言ってるの!
別にそんなんじゃないわよ!」
〈そうか。それならいいんだ〉
珀は私の隣を歩いた。
もうすっかり暗くなっているのに、
珀がいるから不思議と怖くない。
街灯の明かりに照らされて
知らない道を歩く。
珀は黙って私の数歩前を歩いて
道案内をした。
電車に揺られて、車窓をじっと見つめる。
今日はとても濃い一日だったと思う。
ひょんなことから幽霊となった珀の
頼みを受け入れて、大志に手紙を届ける。
たったそれだけのことだったのに、
私の中で何かが動き出した瞬間を垣間見た。
小説を書きたい。
私にそう思わせたのは珀だった。
別にいつもやっていることだけれど、
そうじゃなくて、
もっと本物の小説が書きたい。
自分で読んで満足して終わるだけのものじゃなくて、
私も誰かの心を震わせるような、
そんなお話が書きたい。
そう思った。
家に着いて私を待っていたのは、
お父さんとお母さんだった。
玄関を潜ると、仁王立ちのお父さんがそこにいた。
ぎくりとして小さくただいま、と言うと、
お父さんは静かに口を開いた。
「座りなさい」
抗うことなくその場に座る。
お父さんはあんまり怒る人ではない。
どちらかというとお母さんがよく怒り、
その姿を黙って見つめているのがお父さんだった。
お父さんは私の向かいに座ると、
静かに息を吸った。