片翼の蝶



大地が教室から出て行って、
足音さえも聞こえなくなる。


私はじっと立ち尽くす真紀の背中に向けて
言葉を落とした。


「真紀。日記を書こう」


〈嫌よ〉


「いいから。書こう」


〈絶対に嫌〉


「どうして」


〈だって!〉


真紀は振り返って私を挑むような目で見つめた。

目には涙が溜まっていた。


真紀は唇を震わせて、ぐっと拳を握りしめた。


〈あたし、全然知らなかった。
 あの人が……大地があたしのことを
 あんな形で覚えてくれていたなんて思いもしなかった。
 あたし、とっても嬉しい〉


「だったら、尚更書かなきゃダメだよ。
 ちゃんと本当のこと言おう?
 吾妻くんなら分かってくれるよ」


〈でも、あたし嫌よ。これで終わってしまうなんて嫌。
 もっともっと、話したいこと沢山ある。
 これで終わりになんてしたくない!〉


「でも……」


〈お願い!これからもずっとここに通って!
 あたしの代わりに会話をして!
 あたし、彼の文字を見られるだけでいいの。
 お願いだから、これで終わりにしないで!〉


必死になって泣き叫ぶ真紀。


風が強く、強く吹き荒れる。


蒸れたような生ぬるい風を送ってくる。


どうしていいか分からなくなった。


ただ、私は絶対に本当のことを言った方がいい気がしていた。


「ねえ、真紀。私が書いたって意味がないよ。
 そんなの続けたって、きっと吾妻くんだって嫌だよ。
 だから、本当のことを言おう」


〈じゃあ体を貸して!毎日少しだけ
 体を貸してくれればそれでいいわ。
 自分で書くから〉


「そ、それはダメ!」


〈なんでよ。ずるいわ。
 あなたは生きているから
 そんな風に簡単に言えるのよ〉


泣き喚く真紀を見ていると胸が痛む。


ずるい、かあ。


当たり前のようだけど、
生きているって尊いんだな。


死んでしまってはもう、人に会うのも、
何かに触れるのも、自由に出来ないんだよね。


それってきっと、辛いんだよね。


でも、だからって私の体を貸すのは躊躇われる。


どうしたものか。


どうやって真紀を説得したらいいの。


〈それ以上駄々をこねるな。
 そんなことをしていると、地縛霊になるぞ〉


声が聞こえて、私と真紀は同時に声のする方を見つめた。


そこには珀が立っていて、冷たい目で真紀を見ていた。


「珀」


〈大地に迷惑かけたくなきゃ、
 とっとと日記を終わらせろ。
 言ったろ。茜は俺のだ。
 いつまでもお前に貸しておくつもりはない〉


珀が淡々とそう言って、真紀に近付いた。


真紀はびくりと体を震わせて一歩後退する。


それでも珀が間合いを詰めるから、真紀は静かに俯いた。



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