政略結婚ですがとろ甘な新婚生活が始まりました
彼がゆっくりと私に近づく。

歩く度にさらりと彼の髪が揺れる。夜色の瞳が逸らされることなく私の目を捕らえる。


足が竦む。無意識に一歩後退してしまう。


その瞬間、逃がさない、とばかりに彼が私の左手首を掴んだ。大きな手が私を捕らえ、グッと力が込められる。


「……おかえり、って言ったほうがいい?」


穏やかな声なのにとてつもない威圧感を感じる。

ドキンドキンドキン。心臓が早鐘をうつ。

美麗な顔立ちが至近距離から私を覗き込む。漆黒の瞳には抗えない色香が漂う。


怒っている? 無断で外出したから? まさか離婚届を取りに行ったことがばれてる? 


でも赤名さんは環さんに報告していないし、私がきちんと彼と話すまでは言わないと約束してくれた。

反応できずに立ち尽くす私を彼がグイッと私の左手首を自身に引き寄せる。

「……帰るぞ」
その言葉には反論を許さない響きがあって、私は黙って頷いた。


エレベーターの中で彼は終始無言だった。

沈黙が重くて痛い。けれど私の手首からは決して手を離そうとはしない。意気地のない私は会話の糸口が見つからずに、彼に声をかけそびれていた。

尋ねたいことはたくさんあるし、話を切り出したい。それなのに静かに怒りを含んだ目に腰が引けて、何も言えなくなってしまう。


ポーン、と重苦しい空気を打ち破るかのように明るい音がして、エレベーターの扉が開いた。

彼は黙ったまま私の手を引いて、玄関のドアを開けて私を押し込んだ。ガチャリと音がして彼が後ろ手に玄関ドアを閉めて施錠した。
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