ビーサイド
俺はずっと、若菜に未練しかなかった。
だから、大阪で偶然再会して東京に戻りたいと言われたとき、それに容易く頷いて寝床を提供した。
だが、案の定若菜に迫られたそのとき、俺は確信してしまったんだ。
若菜は前と変わりない、いやむしろ色気が増したような気さえするし、自分の中で気持ちもそれなりに盛り上がっていたはずだった。
なのに、いざキスをしてみたら、全く興奮しなかったのだ。
経験人数は少なくないと思うが、こんなことは初めてだった。
若菜と別れたあとでさえできたことが、できなかったのだ。
「めりくり~」
寝ぼけ眼な慎太郎と駅で待ち合わせてスタジオへ向かう道中、朝から街中はクリスマスの支度を始めていた。
「今日の打ち上げくんの?」
最近彼女ができたらしい慎太郎は、一次会だけは行くと幸せそうな顔で笑った。
「涼は?どうすんの?」
「なんも。朝まで飲み倒す」
「さみしーねぇ。若菜といないんだ」
特に何を話したわけでもないのだが、恐らく周りは俺と若菜がよりを戻したと思っているようだった。
「別に付き合ってねーよ。居候させてるだけ」
「は?まじ?え、じゃあ朱音ちゃんは?」
慎太郎とは中学時代からかれこれ10年の付き合いになるが、こいつはたまにすごく鋭い。
あの合コンのあと、真っ先に俺にちゃんとしろと言ったのも、慎太郎だった。
「……もう会ってない。さすがに申し訳なくて」
あのときを思い出すと、柄にもなく俺の胸は痛んだ。
あのときの朱音さんの顔は、今もずっと忘れられない。
「お前なんて顔してんだよ。もっと単純でいいんじゃねーの」
ちょうどスタジオに到着してその話は終わったが、慎太郎の言った言葉の意味を考えていると、練習にも身が入らなかった。
声も全然出ない。
単純でいいって、それじゃあ朱音さんはどうなる?
また若菜みたいに結婚を盾にいなくなられたら、そう思ったら俺はその一歩を踏み出せなかった。