俺を護るとは上出来だ~新米女性刑事×ベテラン部下~
三咲は休暇を取ることなくすぐに引っ越しを済ませ、署の中で生活をするようになった。

 犯行現場のアパートの現場検証では、マイクロカメラを仕掛けて写真を撮った後、カメラを回収してから写真を送りつけてくるという念の入れようだったが、アパートの鍵はマスターキーを作れるタイプだったこともあり、防犯カメラからは何も出ず、犯人を上げるのは難しいとほとんど諦めムードだった。

 三咲は、これらの事件の一連性を考えたくなくて、次の事件にのめり込み、気付けば休暇を返上して2週間も働きづめていた。

 さすがに、身体がだるくなってくる。

 定時後、次の休みはきちんと寝ようと考えてからパソコンを1時間眺めたが手が動かなかったので、思い切って道場に足を運んだ。

 そういえば、ジョギングをしなければと考えていたのにも関わらず、忘れていた。

 溜息を吐きながら、中に入る。と、嵯峨が帰ろうとバックを手にこちらに向かって来ているところだった。

「あ……お疲れ様です」

 あれから嵯峨とは碌に話もしていないが、いつもこんな感じで挨拶をするだけなので、この時もさっと通り過ぎるだろうと思ったが、思いもよらず、立ち止まった。

「……」

 かといって話しかけるでもなく、入口のベンチに腰かけている。

 あまり意味はないだろうと、三咲は着替え、とりあえずランニングマシーンに乗った。

 他にランニングマシーンを使っているのは2人ほどいたが、気にせず、前を向く。

 と、ガラスに嵯峨の姿が映ったので、慌てて後ろを振り返った。

「…あっ……」

 驚いて、身体のバランスを崩しそうになるが、なんとかたて直してマシーンのスイッチを切り、その方向に向かった。

「相手してやる」

 嵯峨は帰り支度のためにスーツに着替えたばかりだったが、もう一度着替え直したのか、半袖のティシャツにスゥェットを履いている。

「あっ、お、よろしくお願いします!!」

 思いがけず誘われ、嬉しくなった顔を引き締めながら前に立つ。

「……何を考えてる」

「え?」

 まさかの言葉にぽかんと顔を見つめた。

「俺を倒そうと考えてるか?」

「え? まあ……」

 倒せるわけないが。

「そういう固定観念を捨てろ。本気で行けば勝てる、そう思ってかかってこい」

 その精神論を頭の中で繰り返したあと、嵯峨を倒すつもりで向かっていった。

 倒すつもり。

 そう、抵抗する大の男を逮捕する時もある。

 その時は、相手の胸ぐらに入り込んで投げ倒す。

 胸ぐらに入れなければと構えた瞬間、真正面から両手首を掴まれて

「いつまで考えてんだよ」

 ハッと気付く、試合は既に始まっているのだ。

 手を捩じって払い、思い切って右ストレートを繰り出す。

「……」

 が、完全に見切られ避けられた上にその腕を掴まれた。

「! ん!」

 手首を掴まれ、離してくれない。

 更に

「こうやって後ろ向きにしたら…」

 まるで無抵抗かのように、嵯峨は三咲の両手首を掴み、後ろでで拘束する。

「逃げられない」。

「…うんっ……」

 ただ片手で掴まれているだけなのに、捩っても、取れない。護身術はちゃんと習った。それでも、それが嵯峨にはきかない。

「痛いだろ?」

「痛いです……」

 逆に捩れば自分の手首の骨と骨が当たって痛い。

 三咲は抵抗することを諦めて力を抜く。すぐに嵯峨も力を抜いた。

 手首は赤くなっている。

「学校で護身術を習っただろうが、実践経験はほとんどない。ということは、突然事件に遭遇しても使えるわけがない」

「……」

 確かにそうだ。

「実戦経験を積むには色々と覚悟がいる」

「覚悟はしてます!」

「してるか? この前、西園邸で俺を撃てたか?」

 それって一体どういう……。

「俺達は危険を最小限に犯人を捕まえるのが仕事だ。そのために日々の訓練も欠かさない。

 だが、あんたは事務処理もある上に身体を動かし慣れていないから大変だ」

「……」

 半分以上皮肉に聞こえる。

「そのまま現場に行って俺か山本さんのフォローがなかったら、即危険が及ぶ。だが、俺達はあんたの部下だ。あんたナシでは行動できない」

 あ、そういう……。

「………はい……。その……毎日訓練するようにします……」

 それは自分でもしなければと思っていた。

「犯人は人質目的の場合、女性を狙いやすい。かたっぱしから片付ける場合も、女から行く。的になる事が多い。その上、暴力だけでは済まない時もある」

「…………」

 突然そこに触れられて、身体が硬直した。

「今、俺は最初から一歩もここを動いていない。俺を一歩でも動かせられるか?」

 突然大きな命が降ってきて、慌てて顔を見上げ、次いで足元を見た。

「卑怯な手を使ってもいい。動かせてみろ」

 180センチ70キロ以上はある。その巨体をどうやって……。

 きっと殴っても倒れない。

 足は頑丈だから払えない。

 腕を引っ張っても無理だ。

 じろりとした視線が飛んでくる。早くしてほしいのは分かる。

 だけど……どうしよう……。

「………よし、行きます!!」

 作戦は特にない。

 だけど、今行かないと、今行くのが自分の使命だ!

「………」

 とりあえず構えて、仁王立ちする嵯峨の前に立つ。

「………」

 とりあえず、殴ってみる。

 腹に決まったが、驚くほど跳ね返ってくる。すごい腹筋だ。

「……」

 そのまま腹を殴り続けたらそのうちよろけるのではないかと思い、サンドバック代わりに数発殴ると、

「制限時間はあと30秒」

 !?えっと、えっと……。

 何もしないよりマシかともう一発殴ると同時に腕を取られ、再び先ほどの拘束ポーズになってしまう。

「9…29」

 20秒間、思い切り身体を捩った。だけど、捩れば捩るほど手首が痛い。

 一旦動くのをやめて、どういう囚われ方をとているのかもう一度考えてみる。

 すると、嵯峨の手が右手だけになった。片手だけで両手首を掴まれている。

 なのに、掴む力は同じでびくともしない。

「30」

 言いながら、突然手を離され、よろけて手から倒れ込んだ。

「練習でこれじゃ、実際犯人相手じゃ何もできないだろう」

 確かに、これまでの2度の経験で、三咲が何もできないことだけは確実に証明されている。

「はあ……」

 手首が痛い。赤くなっている。かなりきつく掴まれていたのが分かる。

 というか、明日になったら青くなるかもしれない。

「身体も硬い。体力もない」

「頑張ります……」

 手首から視線が離せない。

 随分力を入れて握り込まれた。

「だが、2度目の時は1度目よりも要領を得ていた。やればなんとかなるもんだ」

 そうだったんだろうか……。

 ふと、前を見ると、音もなく既にバックに手を伸ばそうとしている嵯峨が遠くに見える。

「あ、ありがとうございました」

 嵯峨は一瞥するだけで、そのまま出て行ってしまう。

 手首の赤身が引いていくのを見ながら、三咲は手首を振って痛みを飛ばし、もう一度ランニングマシーンに乗った。

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