俺を護るとは上出来だ~新米女性刑事×ベテラン部下~


 嵯峨はドアの前まで来ると少し迷ったがインターフォンを押した。コンクリートに音が反射して、よく響く。

 中からは物音がしたと思ったが、すぐに静まり、そして、

「嵯峨さん!!」

 声が聞えた。魚眼レンズで確認したんだろう。

「開けてくれ」

「ち、ちょっと待って下さい!! あの着替え中なんで……その、10分くらいいいですか!?」

 10分?

「………、ああ、10分でも15分でもここで待つ」

「すみません、すぐですから」

 と言ったわりにはたっぷり15分を過ぎてからドアが開いた。

「す、すみません、もうお風呂に入ってたものですから!」

 頭にタオルを巻きパジャマのまま出て来る。

 俺に会う前にシャワーを浴びなければならなかったようだ。あまり、良い事が起きた後ではなさそうだ。

「ここでいい」

 中に入ろうとする三咲に、声をかける。靴を脱ぐ気はなかった。

「え、あ……」

 三咲は頭のタオルに手をかける。見えているのは、濡れた髪の毛だけで、顔は半分以上見えない。

「あ、その。えっと、その。あ、ジョギングしてたんですね! そう、私もしなきゃと思ってて…。あ、そういうジャージいいですね、シャカシャカの。その、保温効果があって、その……」

 何か隠していることは明白だ。

「誰に口封じされた」

 顔が凍てつく。

「お前が門から入ってすぐ、生活安全課の須藤が出て行った。あっちは囮だ。本星がお前に接触してきたろ。知ったヤツだったか?」

「……知りません」

 頑なに拒否する気なのは分かっていた。

「これまでの一連の事件の中で、お前が一番犯人と関わっている。お前が協力してくれれば、同じことは2度と起こらない」

「私には関係ありません!」

「お前はそれでも警察官なのか?」

 静寂が辺りを包んだ。

 三咲の顔は俯いてしまっている。

 だが嵯峨は、容赦なく続けた。

「犯人逮捕するのがお前の役目なんじゃ……」

「じゃあ嵯峨さんがしてください!!」

 ようやく本心を明かすか。

「………!!!」

 睨みつけてきたがそれ以上何も言わない。

 そして、目を逸らし、奥へ入って行ってしまう。

「………何も他の被害者のためだけじゃない。お前が安全に生活するためにも、捕まえたいとみんな思ってる」

「勝手なお世話です!」

 そしてドアをバン!と廊下のドアを閉める音が響いて、完全に閉ざされてしまう。

「……」

 嵯峨は仕方なくドアから出る。

 乗り越えなければならないジレンマ、というものは誰にでもある。

 それが三咲に伝わったかどうか、嵯峨は分からないまま冷たい空気を吸った。




 嵯峨から言われた言葉に激しく怒りを感じた三咲は、ドアが閉まるのを確認すると鍵をすぐにかけ、山本に電話をかけた。

『どうした!?』

 すぐに出て驚いた。


「あ、すみません……どうもしないです」

 自然に笑いが出た。腕時計をテーブルの上に置き、スピーカーで話す準備をする。

『……嵯峨が行っただろ…そこにいるのか?』

「もう帰りました。というか、帰ってもらいました」

『……ヤツは直球で刺々しい時もあるが、本心はお前さんのことを心配してのことだ』

「…………私…………」

『………………』

「………………」

『……………いいさ。言い出すまで待つ。まだ時間もあるしな』

「………………」

『……………直接聞くか?』

「………………電話で精一杯です」

『そうか……………』

「………………」

『………………」

「山本さんの初体験っていつだったんですか?」

『ほえ……え!?』

 その驚き具合に笑えた。

「いや、いつかなあって」

『忘れるくらい前だよ。なんでまた……』

「……やっぱ、最初はすっごく好きな人だったんですか?」

『えーーー? ……うーん、まあ、嫌いじゃなかったわな』

「どんな相手だったんです?」

『ふーん………。美人教師、と言いたいところだが、近所の主婦だったよ』

「え゛ーーーー!?」

『昔はそんなもんだ』

「それって時代関係あります!?」

『ま、今よりはどうこう言われなかったからな。携帯もないし、カメラもない、証拠が残らん』

「まあ……そうですね……。っていうか、美人教師と言いたいところだが、の意味が分かりませんけど」

『そういうもんだろ』

 山本は可笑しそうに笑うが、三咲にはあまり理解できない。

「その後、ご結婚されたんですか?」

『随分飛ぶな』

 山本は笑った。

「飛びますか? じゃあ順番で言うと?」

『いや、飛んでいい。結婚は10年前だ。10歳年下だよ』

 そういえば、経歴がそうだった。

 そうだ……山本は奥さんを目の前でレイプされている! 山本にはその、気持ちが分かるんだった!!

「私には、今回の犯人をつかまえたいという気持ちがありません!」

 一気に言い切る。

 山本は予想外に黙った。

「あんなことはなかったことにしたい。それだけです……」

 仕方なく続けた。

『………なんで、それを俺に? って俺の経歴も知ってるわな』

「はい……」

『女の気持ちってのは複雑だな。俺の前の女房の場合は、俺が犯人を半殺しまで痛めつけた後に、蹴り倒してたよ』

「………」

 山本は小さく笑う。

『犯人がその時、お前の旦那は警官なんだってなって言ったそうだ。それもあって、離婚。まあ、半分以上家庭は破綻してたがな』

「………そうだったんですか……」

『まあ、経歴通りだよ』

「息子さんがいらっしゃったんですか?」

『……あぁ、この前つい……』

「娘さんはいないんですよね」

『………。結婚したのは一度きりだが、その前に子供だけ出来てな。まあ、認知もしてるし、面倒をみるというほどのことではないが、多少の援助はしてきた。そこも破綻の原因だな』

「………そうだったんですか……」

『話が逸れたな。嵯峨が何て言った?』

「……犯人はどんな奴だったとか、捕まえたいから教えろって……でも私はもう思い出したくもないんです!!」

『そうだなあ……。被害者はそういうもんだ』

 被害者と言われて、一層惨めな気持ちになる。

「私、初めてだったんです」

『何が?……え゛!?………あ、え゛ー……そりゃ気の毒な』

「気の毒なってなんですか」

『あいや……あぁ……そうだったんか……』

「この年でそうだとはみんな思わないかもしれないけど、だから、でも、私だって好きな人としたかった………」

『………そうだなあ……』

「……………」

 しばらく、感傷的になってしまう。

 だが、それを打ち破るように、

『多分、それは…なんというか、気持ちの持ちようだと思う。……三咲警部?』

「はい……」

『その……男と女は違うかもしれねーが、なんというか。誰が最初かどう最初かに、拘る必要もないというか、その……。
 そんなことがあったからって、誰もみんな何かが変わるわけじゃない』

「みんなの目が違います。私、違うって言ってんのに……」

『……まあ、あの日の様子はとんとおかしかったからな。それに、先日から女性警官への嫌がらせが極秘の情報で入ってきてたし……。偶然みんなの中で繋がっちまったんだな』

「………最悪……」

『そうだ。悪いのは犯人だよ。忘れちまえといって、忘れられるもんじゃない。それに忘れる努力は大変だ。上塗りがきかない時もある。
 そういう時は、犯人に怒りをぶつければいいんだよ』

「………」

 思ってもみなかった言葉が降って来る。

『警官の特権だ。正当防衛で射殺することも可能だからな』

 山本は愉快そうに笑い、

『あくまでも正当防衛で、だ。そのまま射殺したら、お前さんが檻の中で、犯人は野放しになるだけだからな』

「絶対射殺します!」

『そこに目くじら立てんでくれ』

 山本は苦笑した後溜息を漏らす。

「……大丈夫です」

 そう言わなければ、心配しそうだったので付け加えた。

『……官舎を出た方がいい、が1人暮らしもよくない。実家に帰ったらどうだ?』

「……、この前は言いそびれたんですけど、実は実家はもうなくて」

『そうかい……。だが、さすがに官舎は出た方がいいだろう。1人暮らしも心配だが』

「……しばらくは仮眠室で休みます」

『しばらくったって、あんなとこ2、3日が限界だろう。署から徒歩一分で探せば、帰りは毎日送って帰るさ。それが一番安全だ』
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