おやすみピーターパン
こくり、と少し冷めてしまった紅茶を喉に流しながら、京子さんはまた笑った。
「じゃあ風羽ちゃんは、この島を出ていきたい?」
「え?そんなことは思ってないけど……」
「それはなんで?」
「…なんでって………」
確かに、東京に帰れば前の学校の友達にも会えるし、可愛い洋服も帰るし、おしゃれなスイーツも食べれる。
だけど、この島に来てからはそんなものがあったこともすっかり忘れていた。そういえば引っ越してもうすぐ2週間が経つ。考えてみれば、あんなに田舎田舎と文句を言っていたのにカフェはおろかコンビニ探しだって結局してない。
だって、そんな暇があればピーターくんに会いに行っていたから。
「ネバーランドに、ピーターくんが居たから」
思いついてそうぽつりと呟けば、京子さんはそうでしょう?と何故か嬉しそうに声を弾ませた。
「私もそうよ。二郎さんが居るからこの島を出ていけないの。どれだけ不便でもあの人の傍を離れたくないもの。愛しい人のいる場所はね、自然と恋しくなるものよ」
まるで魔法の呪文でも教えてくれてるみたいに得意気に、紅茶をティースプーンでくるくるとかき混ぜる。
こう言う、なんというか別世界の妖精、みたいなふわふわした雰囲気は、ピーターくんによく似ている。
「私はね、空くんにもそうゆう素敵な恋をして欲しいの。だから風羽ちゃん、よろしくね」
「まって、よろしくってなに」
そう言えば二郎おじさんも同じようなことを言っていた。”空に恋を教えてやってくれ”だのなんだの。
私たちはそんな関係じゃないけれど、京子さんにそう言われるのは嫌な気分じゃない。だから敢えて強く否定はしないでおいた。
「………でも、どうかな。ピーターくんは私にそこまで心開いてないのかも」
私はようやく紅茶に口をつけた。まだほんのりと温かい。
「どうしてそう思うの?」
「だって、私まだピーターくんに隠されてることがある気がするんだもん」
証拠も根拠もないけれど、そう思う。だっていつも核心に触れようとすると、ひらりと躱して「さぁてどうかな」なんて戯けてみせる。それって、心を許してない証拠じゃないだろうか。
「それは違うわ、風羽ちゃん」
カチャン、と飲みかけのカップを膝に置いて、存外ばっさりと京子さんはそれを否定した。
「それだけ風羽ちゃんのことが適当じゃないってことなのよ。関係を大切にしてるからこそ躊躇してしまうのよ」
「私との関係を、大切に………?」
そうだろうか。大好きな小説を読むみたいに面白がっているだけじゃないのか。
でも、そうだとしたら嬉しいのは事実だ。
「……なら、私は黙って待つしかないの?気にならない振りをしなちゃくいけないかな?」
「ふふ、それも違うわ。風羽ちゃん」
京子さんは可笑しそうに首を左右に振る。さっきから私の見解は不正解ばかりだ。
「こっちから紐解いたっていいのよ。もしかしたら彼も、それを待っているのかもしれないでしょう?」
だって、と京子さんは笑った。
「大切にしたい人に、”あなたのことをもっと知りたい”と言われるのは、幸せなことだもの」
その言葉は、すっと心の中の氷が溶けていくような、そんな魔法みたいな言葉だった。
………そうかな。
私も聞いてもいいのかな、もっとピーターくんのことを知りたいんだって、伝えてもいいのかな。
私も、ピーターくんのことを大切にしたいんだって、伝えてもいいのかな。