おやすみピーターパン
「おれ、自分には無理なの分かってて飛び込んだんだ。でも昔は泳げたから、もし途中でダメになっても、由梨だけなら助けられるかなって」
「なにそれ。自分のことは?」
「必死だったから、ひとつのことしか考えられなかった。でも、なんでだろう。おれすごく楽しかったんだ」
「……え?」
予想外の言葉が飛び込んできて、思わず聞き返す。
「楽しい…じゃないか、嬉しかったんだ。まだおれにも、できることあったなって。おれ、こんなだけど…女の子ひとり助けられるんだって。そしたらもの凄く嬉しくなっちゃって」
そんなことを、微笑みながら空兄は言う。
私には分からない。分かるはずがない。だけどそれで当たり前なんだ。空兄の生きる道の全てを知ることなんて、きっと誰にもできない。
でも、寄り添うくらないなら出来るはずだ。
「今も、由梨が元気で居ることが堪らなく嬉しい」
そう言って空兄は頬に手を伸ばしてきた。泣き腫らした顔に、冷たい体温が心地よかった。思わず擦り寄れば、空兄は照れくさそうに目を細めた。
「私ってタイガー・リリーみたいだね」
ふと、空兄が好きなピーター・パンの物語を思い出して言った。すると空兄はきょとんと不思議そうな顔をする。
タイガー・リリーはピーター・パンの物語に出てくるインディアンの女の子。フック船長に囚われるが、ピーターに助けられるんだ。
空兄がそれを知らないはずはないが、私と結びつかないのだろう。数秒考え込んだ後、空兄は言った。
「どうして?施設の名前がネバーランドで、名前が由梨だから?」
「どうゆうこと?」
「ユリは英語でリリーって言うだろ?」
「そうなの?すごい偶然!」
まるで、空兄に出会うべくして生まれてきたみたいだ。そんな嬉しいことって他にあるだろうか。
私はこの夢の国に居るような気持ちをもう少し味わって居たくて、空兄には自分がタイガー・リリーに似ていると思っている理由は教えてあげないことにした。
空兄は鈍そうだから、何度も本を読み返してる癖に、きっとすぐには気づかないだろうな。
空兄、タイガー・リリーはね。
ピーター・パンに助けられて、恋をしたんだよ。