おやすみピーターパン
息を切らして、ただその後を追う。
蝶は不規則に飛び回っているようで、その動きはどこかを目指しているようにも思えた。そして、私を案内しているようにも。
しばらくそうして追いかけっ子をしていると、木ばかりだった視界が、不意に開けた。広い、久しぶりの空が見えた。
「わぁ………………」
そこに広がっていたのは、池とも湖とも言えそうな、大きな水たまり。
さすがは田舎だ、水の底が透けている。ほとりには、小さな花がいくつも咲いている。
蝶はそんな花にとまって蜜を吸うでもなく、ひらひらと鱗粉を振り撒きながら、湖の奥にぽつりと置かれた、岩陰へと飛んでいく。
そしてその岩に凭れた小さな、肩にとまる。
…………誰かが、そこに居た。
子供だと思う。こちらに背を向けたままで顔までは見えないが、短い焦げた赤茶色の髪がちらりと見えて、男の子だということが分かった。
彼は自分の肩に乗る蝶をひょいと指先でつまみあげると、優しく手のひらに乗せる。
「また、お前?蝶のくせに、人が好きなんだな」
すとん、と抑揚のない声だった。大人びいた口調のわりには少し高めの、足元の湖みたいに淡く透き通る声。
彼は掌でちらちらと羽を輝かせる蝶に、そっと唇を寄せた。
ちゅ、と唇の先で音を鳴らすだけのキス。そこで初めて見えた横顔は、なんだか恐ろしく思える程に整っていた。
だからなのだろうか、吸い込まれるように見入ってしまって、身体が地面に縛り付けられたみたいに、上手く動かない。
ふと、蝶が彼の指先を離れた。
羽を翻す蝶は私の方へと飛んでくる。岩陰から立ち上がり、それを目で追う彼は、そこで初めて私の姿をその瞳に映した。
「…君はだれ?」
湖のような声が、今度は私に向けられていた。
はっきりと身体ごとこちらを向いた彼は、背はあまり高くはなく、私と同じくらいの歳か、それより下だと思われる。
やはり整っている顔にのっかった大きな瞳が、私を見つめる。
「………あ、えっと私は………花田 風羽、です」
しどろもどろにそう名乗る。
「ふう、ね。ふうは、どこからきたの?前からこの島にいた訳では無いんだろ?」
「あ、うん!」
彼はその身に纏うミステリアスな空気とは裏腹に、意外と気さくな性格らしかった。
「東京から。ここへは………家庭の事情で」
「へえ、俺と同じだね」
彼は未だに私たちの間を飛び回る蝶を、目で追っている。
俺と同じ、と言ったのは、東京から来た、という事についてだろうか。それとも家庭の事情、の方だろうか。
「……君は、どこから来たの?」
悩んだ末にそう問いかければ、彼はその大きな瞳を細めて言う。
「ネバーランドだよ」