おやすみピーターパン
彼がそう言ったのと同時に、蝶はなにか役目を終えたかのようにそっと空を高く舞い、視界から消えていく。
今度はそれを目で追わなかった彼は、至って真面目な顔つきで私を見詰めていた。
……………いやいやいや。
そんな真顔で、そんな冗談を言われても。
なんだこの人。なんの前フリもない唐突なボケに、どう対応していいか分からない。
しかもよりによって……ネバーランド、なんて。
「じゃあ君は、ピーターパン?」
悩みに悩んだ結果、勢いのままに唇から落ちたのは、彼の下手くそなジョークに負けないほど突拍子もない言葉。
自分で言っておいて恥ずかしくなって、思わずやっぱりなんでもない、と口を開きかける。その時、彼は言った。
「ピーターパン、か。それもいいかもね」
…………笑った。
けたけたと、彼はその端正な顔を惜しげも無くくしゃりと歪ませて、笑った。
バカにするような笑顔ではなかった。ただ純粋に、可笑しくて仕方が無いという風に。
そして心做しか、嬉しそうにも見えた。
自分のへんてこな発言を撤回したかったはずなのに、彼があんまり楽しそうに笑うから、言ってよかったとすら思えた。
ただ君が笑った、それだけの事なのに。
ああまさか、ほんとうに。魔法にかけられてしまったとでも言うのか。
「じゃあ…あのこはさしずめ、ティンカーベルってとこ?」
彼はニヤリといたずらっぽく笑う。彼の言うあのこ、とは、さっきの珍しい蝶のことだろう。
彼が言ったのでなければ、何をバカなことを、と笑ったかもしれないその言葉は、彼が言うと妙に様になっていて、とてもそんな風には言い捨てられなかった。
きっと、彼が言うならそうなんだ。そうならいいな。