君と二人の201号室
そんなある日、母さんから提案がありました。
趣旨をまとめると「菜帆から離れて、人生やり直さないか」といったことです。
躊躇いました。
なにせ、「じゃあ菜帆をどうするか」ということがありましたから。
すると母さんは、「妹に頼み込む」と言いました。
なので、早急に準備をして、菜帆の叔母さんにあたる人に頼み、一刻も早く菜帆から離れました。
…今考えると、あれも失敗だったと思います。
そのことも謝ります。ごめんなさい。
菜帆から離れ、精神科に行って、まずはカウンセリングを受けました。
俺も母さんも、重症だったみたいです。
精神科の先生には、菜帆のことも話しました。勝手にごめんなさい。
カウンセリングに通い始めて2年程過ぎたころ、精神科の先生に「菜帆に謝りたい」と言いました。
反対されてしまいました。当たり前です。菜帆は当時9歳のはずで、トラウマになるような相手に、そんなに早いうちに再会させるのはよくないということでした。
だから俺たちはまず、徐々に仕事を始めました。
2年くらいは、どうにか貯金でやっていましたが、そろそろ底をつくと思ったからです。
ギリギリの生活でした。
贅沢はできません。借金もあります。だけど、毎月生きていくのに必死で、借金どころではありませんでした。
それから数年経ったころ、少しずつだけど、借金が返済されていることがわかりました。
菜帆、きみだよね。
きっと、中学生になってから、働きだしたのだろうね。
すまない。もっと青春を謳歌するような時間の使い方をすれば、幸せだったんだろうか。やり切れない気持ちになっていたこと、今でもそうです。
そんな最中、俺は倒れてしまいました。
原因は過労でした。
「いつか菜帆に会える日が来ますように」
そんな夢を抱いて、少しずつ借金を返せるように、生活を切り詰めていました。