俺様系和服社長の家庭教師になりました



 ★☆★



 その日の色は、自分でも不思議なぐらい、気が立っていた。出社して挨拶をしてくる社員達も、すぐにそれに気づいたのか愛想笑いをしてくる。
 
 普段は社員に厳しくあたっている事も多いが、指導者としての素養や力量、統率力が高く一目置かれる存在だった。そのため、社員は色を憧れており、厳しいからと逃げ出すことはなかった。

 だが、やはり怒られるのは誰でも怖いもので、機嫌が悪そうな時は、上手くかわして逃げるのが暗黙の了解だった。
 他人と話すのも苛立ってしまうので、色にとっても都合が良かった。が、一人だけ例外がいた。


 「冷泉様、おはようございます。」
 「………あぁ。」

 社長室に入ってきたのは、秘書の神崎綾音だった。
 今日もパンツスタイルかと思ったが、最近は黒のタイトスカートが多く、今日も同じものだった。

 秘書の神崎には、1日のスケジュールなどを読み上げる、などの仕事はさせておらず、必要な時に仕事を頼んでいた。資料の作成や出張の手配の確認、取引先への連絡などだった。


 「用件はなんだ。」
 「今日の夜の予定を聞かせてください。」
 「………変わらない。料亭に行く。」
 「…かしこまりました。」


 それだけを確認したあと、神崎は一礼して退室しようとしたのを、「神崎。」と呼んで引き留めた。

 苛立っている事もあり、気がつくと今まで聞かなかった話を彼女に問いかけていた。


 「おまえだな、翠に変なこと言ったのは。」
 「………何の事でしょうか?」
 「しらばっくれるなよ。お前しかいないんだよ、あんな事を吹き込むのは。」
 「…………わかりません。」


 何があっても話そうとしないようで、意思の強い瞳で睨むように色を見つめていた。

 神崎は、何故かギリシャ語を習うのを最期まで反対していた。家庭教師をつけたからといって、仕事を疎かにした事もなかったし、体調を崩したわけでもなかった。確かに、寝不足にはなってきたが自分が好きでやり始めた事なので全く苦にならないし、むしろ充実していたと言える。

 だが、こいつのせいで翠が余計な心配をして、更にはややこしい事になってしまった。
 もちろん、俺があやふやな態度をとっていた事が問題なのはわかっていた。

 だが、神崎が何も言わなければ家庭教師の回数を減らす事にもならなかったし、翠があんな事を言わなかったかもしれないと思うと、どうしても苛立ってしまうのだ。

 そして、翠と他の男が出掛けている姿を見る事はなかったはずだ。本当ならば、料亭で過ごす時間だったはずなのだ。
 昨日の夜、急遽取引先へのとのお食事会があり、そこへ向かう途中、翠を街中で見かけた。いつもよりラフな格好をしており、隣には見たことがある男性がおり、有名なレストランに入っていくところだった。

 すぐに翠の職場の店長だと気づいたが、妙にその様子がひっかかったのだ。
 あれはただ仕事帰りに食事に行っただけなのか。それとも、あの男と交際しているのか。

 翠が付き合っている男がいるのに、色に告白したりキスをせがんだりする女だとは思っていない。
 だが、モヤモヤがとれないのだ。
 (あんなに俺と会うときに嬉しそうにしてるのに、他の男と出掛けて笑ってるのかよ。)
 自分はあいつを振った男なのだから、こんな事を思う資格さえもない。彼女を束縛する権利のない男なのだ。
 それなのに、どうして腹立たしいのか。
 色は自分の気持ちが理解できなかった。


 「今度あいつに余計なことを言ったら、俺の秘書にならなくてもいい。」
 「っっ…………失礼します。」


 色の言葉を聞いて、神崎は初めての顔を歪ませた。そして、顔を真っ青にさせて部屋から出て行った。

 「部下に当たるなんて、最悪な男だな。」

 静かになった部屋で、一人呟いたまま顔を手で覆い、ゆっくりと目を瞑った。

 いつもならば、キラキラとした太陽の光の中を笑顔を見せる女を思い出す。それは、自分にとって大切な思い出であり、会いたいと願う人だった。

 だが、最近では彼女の顔が出てくるのだ。
 綺麗な金髪に碧色の瞳、そしてコロコロと変わる愛らしい顔。
 笑ったり、泣いたり、怒ったり、そして恥ずかしそうにしながらキスを求める艶のある顔も。


 「ったく、俺はいったい何がしたいんだ………。」


 大きくため息をつきながら、しばらくの間、仕事を忘れて一人考え込んでいた。
 

 彼女との関係は、もうすぐに終わってしまう。タイムリミットは目前だった。



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