麻布十番の妖遊戯
 一人暮らしで友達もいない。ここに遊びに来るやつはだれもいないのだ。
 家族もとうの昔に死んだ。兄弟もいない。

 心臓が張り裂けそうだった。このまま俺はここで朽ち果てるのかもしれない。前に殺した動物たちのように同じ末路を辿るのかもしれない。
 そう思えば思うほどに不安は募る。手の伸ばせる範囲で鍵をあけられるものがないか探すが、鍵の代わりになりそうなものなど見当たらない。

 檻を思い切り蹴って揺らして助けを呼んだ。叫んだ。もちろん聞こえはしないが、もしかしたら届くかもしれないという期待をこめた。
 叫びすぎて喉が枯れて痛い、しかし飲めそうな水はこの臭い水しかない。飲むのを憚った。
 このときはまだなんとかなると思っていた。

 しかし、それも何日も持たなかった。
 飲まず食わずも三日目になり、さすがに死の恐怖を感じたとき、あの汚い水を口にした。口にいれたときに感じた滑りと生臭さに吐きそうになったが吐くものなど胃の中にはない。

 食い残された少量のドッグフードを吐きそうになりながら食い、我慢しきれなかった小便を部屋に向けてした。
 くそ。あの犬。殺しておけばよかった。最後に見たあの犬のなんとも言えない顔が脳裏に焼き付いて離れない。次この手で捕まえたら躊躇なくぶっ殺してやる。
 無性にイラついてきたのを覚えている。そんなとき、くうんと鳴き声が聞こえた。犬の息遣いも聞こえた。

 俺は助かったと思って犬を呼んだ。
 嬉しそうに家の中を走り回る足音が聞こえる。
 もう一度犬を呼んだ。
 犬はドアのすぐそこまで来ていた。
 恐る恐る中を覗いた。
 尻尾を申し訳なさげに振っている。

「助けてくれ。頼む。鍵を持ってこい」

 猫撫で声につられて犬は頭を下げながら辺りの匂いを嗅ぎつつ一歩部屋に入った。

 そのとき、犬に恐怖の記憶が蘇ったのだろう。
 弾けるように体をビクつかせると悲鳴に近い鳴き声をあげ、後ろ向きに下がり部屋を出て扉を鼻で器用に閉めたのだ。
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